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この記事の目次
楊脩処刑までのいくつものきっかけ
また元々曹操は曹植に目をかけていましたが、曹丕を後継ぎと決めるとその障害とならないためか曹植と親しい楊脩を処刑する機会を窺っていた、という話もあります。
眉唾な所では楊脩の母親が袁術と縁続きだったため、曹操が身内に置いておかないように考慮したのでは……?というものもありますが、はっきりとしたことは一つ。曹操が楊脩を処刑した理由は、正史に明確には記載されていないのです。
三国志演義での楊脩の扱い
このため三国志演義で楊脩の扱いですが、退場の理由付けが難しいことになったのでしょう。ですが三国志演義は言ってしまえば連載小説みたいなもの、退場させるには理由が要ります(※必須ではありません)。
有能っぽい武将がいきなり処刑されるには……事前に曹操の思惑に気付いた……それ以前から後継者問題に関わってきた節がある……よし!性格に難があったようにしよう!と、いう感じで三国志演義での楊脩のキャラクター付けをされてしまったのではないでしょうか?
またそのお詫びのように、処刑するも曹操は楊脩の考えを認め、遺体を手厚く葬るようにしています。そういう意味では、この埋葬の命令は作者からのお詫びだったのかもしれませんね。
賈ク先生のさり気ない有能さ
さて、最後にちょっとした小話を。筆者が楊脩を思い出すと、実は思い起こされるのが賈ク先生です。なぜなら賈クは曹操に後継者問題を尋ねられた時に、ただ「袁紹と劉表のことを考えていました」とだけ返しました。
後継者は長子にした方が良いというアドバイスですが、何ともさり気なく、そしてはっきりと言葉にしないこのテクニック、にくいです。三国志演義での楊脩の動きを見ていると、この賈クの振る舞いができればなぁ、と何だか考えてしまうんですよね。以上、楊脩の話にもさり気なく出てきてしまう賈ク先生の小話でした!
三国志ライター センのひとりごと
ふと三国志演義を見直して楊脩のキャラクター付けを見ていると、処刑されるだけの理由がある、と思わせながらも、曹操の心を見抜いていた、というさり気ない曹操下げもあるんだな、と何だか感心してしまいます。
しかし同時に三国志演義での楊脩の性格付けも、調べてみると中々に考えられて練り込まれているんだなとも思いました。こういった正史と演義の違いは面白いので、ぜひ皆さんも正史と演義の違いをもっともっと楽しんでみて下さいね。
文:セン
参考文献:益部耆旧雑記 魏書武帝紀が引く九州春秋 世語
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