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この記事の目次
代王嘉の非情なアドバイス
紀元前226年、王翦の軍勢は、10カ月で燕の王都である薊を抜き、燕王喜と太子丹はすべての精兵を率いて東の遼東に籠りますが、将軍李信が燕王を追撃します。
燕が滅亡すると、その矛先が代に向かう事を恐れた嘉は、燕王喜に手紙を送ります。
「秦が燕を追い立てるのは太子丹が起こした禍である。今、王が本当に丹を殺して、これを秦王に献上すれば必ず秦王の怒りは解けて、燕の社稷は継続できるだろう」
嘉は、このように禍を避けるために太子丹を殺すように燕王喜に勧めます。
その後、李信が丹を追い、丹は衍水の中洲に身を潜めていましたが、燕王喜は使者を送って丹を斬り、その首を秦王政に献上しました。これにより秦王政の怒りは和らぎ、燕と秦は一旦和睦します。
この部分が、そのまま漫画で活かされるか分かりませんが、あのナイーブな感じの代王嘉が非情な決断を下せるようになるのでしょうか?
紀元前222年燕と代が滅びる
しかし、秦と燕の和睦は4年で終わり、紀元前222年、秦は王翦の子の王賁が再び遼東を攻めて燕王喜を滅ぼしてしまいました。話はそれだけで終わらず、王賁は返す刀で近くにあった代にまで進撃、代王嘉は為す術なく捕虜になってしまいます。こうしてみると、代の国力は燕なしには、秦に太刀打ちできるような代物ではなかったようです。燕が滅びる時がすなわち代の滅びる時だったのです。
代王嘉の能力
史実の公子嘉は、李牧との接点も特にありませんが、趙の滅亡後も秦に屈する事なく、燕と手を組んで戦い、一度は燕と代で連合軍まで組んで戦ったのですから大したものです。
この代王嘉の奮戦ぶりから、趙の滅亡は紀元前228年ではなく、代が滅んだ紀元前222年だと考える研究者もいるそうですから、代王嘉の手腕は見事なものと言えるでしょう。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
今回は史実における公子嘉の将来について史実をベースにして紹介してみました。
キングダムでは、完全にへこんでしまい、情けない所を見せている公子嘉ですが、趙の滅亡後も、諦めずに亡命政権まで樹立して非力なりに秦と戦うのですから、史実でもなかなかに優秀な人物なのが分かりますね。漫画では李牧との絡みもあるでしょうから、秦との駆け引きでも非凡な交渉力を見せるのでしょうか?
参考文献:史記
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