いきなりですが、三国志演義と正史三国志の違いは挙げたらきりがありません。細かいところまで重箱の隅を楊枝でほじくるようにしていくと気が遠くなります。
しかし違いを見つけても間違い探しではないので誰も褒めてはくれません、なので平素から筆者はその違いを楽しむ方がいいな、と思っているのです。なので今回もまた、その違いの楽しみ方をご紹介していきましょう。
この記事の目次
正史三国志と三国志演義の違いの多さ
まず重要なこととして、三国志演義は創作であり、正史三国志は歴史を記した史書ということを念頭にしておかなければなりません。その中で多いのが三国志演義では一部の英雄を極端に有能にしたり、また逆に史書にはないような演出で低能力者にしてしまうことで話を盛り上げていることです。このため一部の武将たちのファンからは目の敵のようにされてしまうこともあります。
分かります、その気持ち
とはいえ、筆者もその気持ちが分からなくはありません。思い入れの強い人物がやたら下げられたり、別の人物の引き立て役にされて憤りを感じない人はいないでしょう。
このため三国志演義から正史三国志に移った場合でも、登場人物たちにやたら美化されていたことに反感を見出してしまう人もいます。しかし基本的に念頭に置いておきたいのは「三国志好きな人にとって、三国志演義は悪ではない」ということです。
三国志演義は悪ではない
三国志、正史三国志は歴史書です。見れば分かりますが、とても読みづらいです。歴史に興味を抱かなければ目を通してみていくことはあまりないでしょう。
ではどこで興味を持つか、というとやはり三国志演義なのです。正史三国志が好きならばそれを知ってもらいたい、そしてそのために三国志演義というのは、とても重要な窓口なのです。
史実アレンジも重要なファクター
また、史実アレンジが多いのも三国志演義の特徴です。有名な所で言いますと、三国志演義の感動的場面100選があれば個人的にトップ10に入る桃園の誓い、これは実は正史三国志には記載はありません。
ただし全くの創作ということはなく、劉関張の三兄弟がとても親密であったこと、それが他国でも知られていたこと、三国志演義の元とも言われる三国志平話でも「桃園結義」という話が合ったことなど、史実や言い伝えを参考にしてとても良いアレンジが加えられているのは真実です。
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