マタ・ハリとはどんな人?美貌の女スパイの悲しい真実

2020年8月7日


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マタ・ハリとはどんな人?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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高級娼婦として浮名を流すもスパイ容疑で逮捕銃殺

 

マタ・ハリはダンサーであると同時に多くの高級士官や政治家を相手とする高級娼婦でした。数知れないほど多数のフランス軍将校、あるいはドイツ軍将校とベッドを共にした彼女は必然的にスパイの仕事を持ちかけられるようになります。こうしてマタ・ハリは美しき女スパイとして活動するようになりました。

 

第一次世界大戦中の1917年2月、マタ・ハリはフランスにおいて二重スパイとして第一次世界大戦において多くのドイツ人、およびフランス人兵士を死に至らしめたとの容疑で、突如起訴されます。

 

この逮捕劇は、ドイツの在スペイン駐在武官がマタ・ハリを暗号名「H-21」なるドイツのスパイとした通信がフランスによって解読されたことからなされました。そして大戦中の1917年7月24日、彼女は起訴から5カ月で有罪となり死刑判決が下され、同年10月15日、サンラザール刑務所にて銃殺されたのです。

 



スケープゴートにされた3流スパイ

 

マタ・ハリは確かにフランス、あるいはドイツか両国の二重スパイでしたが、実際にもたらした情報は非常に低レベルで有益なモノはありませんでした。スパイとして教育を受けたわけではない彼女に高レベルな諜報活動はそもそも無理だったのです。

 

しかし、フランス軍にとってはマタ・ハリがドイツのスパイである事実だけで充分でした。

 

その頃、フランスの戦況は不利であり、政府は戦争による甚大な被害の責任の所在を追及されていたので、罪をなすりつける対象が欲しがっていました。ダンサーとして知名度があり、娼婦でもあったマタ・ハリは、フランス人将兵を死に追いやった卑劣な女スパイの役柄はピッタリだったのです。

 

こうして、マタ・ハリはでっち上げの架空のスパイ容疑で処刑され、皮肉にも、女スパイの代名詞として歴史に名前が残ってしまう事になりました。

 

世界史ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

マタ・ハリの最期については、多くの説があります。

 

自分を射殺する兵士に投げキッスをしたとか、コート一枚を裸体に羽織って刑場に出てきてコートを脱ぎ捨て全裸で殺害されたとか、彼女の美しさに兵士が迷いを起こさないように、狙撃兵全員に目隠ししたとか、、いずれも、美貌の女スパイというイメージの上に上書きされたゴシップのようです。

 

また、これも噂ですが処刑を前にしてもマタ・ハリは泰然自若とし気付けのラム酒を一口含んだだけで毅然として殺されたというものもあります。

数奇な運命に翻弄され続けたマタ・ハリ、いや、マルガレータは41年の生涯の最後にどんな事を考えていたのでしょうか?

 

参考:Wikipedia マタ・ハリ

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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