ラスプーチンとはどんな人?デマが産み出した偽りのロシアの怪僧


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ラスプーチン

 

怪僧ラスプーチンと言えば、末期のロマノフ王朝に出現し幾つもの奇跡で皇帝一家に取り入り、政治的に強い影響力を持ち、最後には政敵に憎まれ何発も銃弾を撃ち込まれた上に撲殺され厳冬の川に死体を捨てられた人物です。

 

幸か不幸か、ラスプーチンには60点の写真が残り、長身でひげもじゃの形相はいかにも怪僧(かいそう)に相応しい禍々(まがまが)しさでした。20年くらい前のアーケードゲーム、『ワールドヒーローズ』にも登場しますので、何となく見覚えのある方もいるでしょう。

 

しかし、先入観を捨てて彼の生涯を追ってみると怪僧とは名ばかり、少し変わった数奇な人物像が浮かび上がってくるのです。ホントにこの人は、史上類の無い極悪人なんでしょうか?


1869年シベリアのポクロフスコエ村に生まれる

 

ラスプーチンは1869年、1月9日、シベリアの寒村ポクロフスコエ村の農夫、エフィム・ヤコブレヴィチ・ラスプーチンとその妻、アンナ・パルシュコヴァの5番目の子供として生まれ、グリゴーリィ・イフィーマヴィチュ・ラスプーチンと名付けられます。

 

しかし、家は貧しくラスプーチンは学校に通えず、素行不良で粗暴(そぼう)な若者へと育ちます。ですが、根っからの悪人ではないらしく、犯した罪を告白し悔い改めれば神に近づけるとしたロシア正教会古儀式派のスコブツィ教派の教義に傾倒。宗教指導者としての頭角を現わします。


結婚するも生神女マリヤの啓示を受け修道僧へ

 

1887年、18歳のラスプーチンはプラスコヴィア・フョードロヴナ・ドゥブロヴィナと結婚しますが、1892年野良仕事をしている時、生神女(せいしんじょ)マリヤ(聖母マリア)の啓示(けいじ)を受けたとして、勝手に村を出てゆきました。

 

出奔後のラスプーチンは、ヴェルコチュヤの修道院で数か月を過ごしましたが、その際に出会ったミハイル・ポリカロプスに強い影響を受け禁酒して肉食を控えるようになり、村に戻ると熱心な修行僧になっていたそうです。この辺で怪僧ラスプーチンの下地は完成したようです。

 

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巡礼の旅の途中に運命のサンクトペテルブルクへ

セミナリオ(教会)

 

1903年、ラスプーチンは再び巡礼の旅に出ます。正規の教育を受けていないラスプーチンは独自解釈で聖書を理解していましたが、熱心な信仰態度が周囲の好感を集め主教や上流階級の人々の注目を集めていきます。やがて、ラスプーチンはクロンシュタットのイオアンと共に教会建設の寄付金を集める為にサンクトペテルブルクを訪れました。

 

当時の帝都サンクトペテルブルクは、多くの貧民がいて、ラスプーチンは病気治療で奇跡を起こし、神の人と呼ばれるようになります。そして、ラスプーチンは当時神秘主義に傾倒していたミリツァ大公妃とアナスタシア大公妃から寵愛を受けるようになりました。

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かくして、1905年11月1日、この大公妃姉妹の紹介でラスプーチンはロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后に謁見します。この頃、ロシア貴族の間では神秘主義が大流行しており、アレクサンドラ皇后もまた神秘主義に傾倒していたようでラスプーチンは気に入られます。


 皇太子の血友病を治療し皇帝夫妻から絶大な信頼を得る

 

1906年10月、ラスプーチンはニコライ2世の要請で爆弾テロで負傷したピョートル・ストルイピンの娘の治癒を行います。そして、1907年4月には、エカテリーナ宮殿に呼び出され、血友病患者(けつゆうびょうかんじゃ)であったアレクセイ皇太子の治癒(ちゆ)を任されました。

 

血友病とは、出血が起きると血が止まらず出血多量死する事もある難病です。アレクセイの侍医たちはラスプーチンの治癒に懐疑的でしたが、翌日にはアレクセイの発作が治まり症状が改善したそうです。これを契機にラスプーチンへの皇帝夫妻の信頼は絶大になりました。

 

なにしろ、ニコライ2世夫妻にとって男子はアレクセイ1人であり、しかも未来の皇帝陛下です。医師にも手が打てなかった皇太子の血友病を改善させたラスプーチンですが、侍医はラスプーチンをインチキだと断定し催眠術で騙したのだと糾弾。そのためラスプーチンは皇太子に会えなくなります。

 

1912年10月、皇帝一家はビャウォヴィエジャの森に狩猟に来た所、そこでアレクセイの病気が悪化します。一家はスピアに移り治療を行いアレクサンドラはペテルブルクにいるラスプーチンに助言を求めます。

 

ラスプーチンは手紙で、小さな子が死ぬ事はありません。しかし、私が治療するのを侍医たちが許さないでしょうと予言めいた事を書いています。予言通りアレクセイは死にませんでしたが、病状の回復が見られるのは翌年になってからでした。

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