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この記事の目次
三国志演義の曹皇后
この後なのですが、まずは三国志演義の曹節から説明しましょう。
曹節は献帝に禅譲を迫る兄、曹丕に協力する形で出てきます。そこには無理やり禅譲させようとする曹丕と、「貴方はなぜ兄に従わないの」と夫である献帝を罵る曹節が出てきており、思い悩んだ献帝は禅譲させられてしまいます。もう結論から言ってしまうと悪役側です。
元々伏皇后も曹操によって処刑されたような悲惨な演出があることを踏まえると、それから皇后になったのに娘もこの振る舞い……と献帝が可哀想になりますが、これはあくまで三国志演義の曹節であることを断っておかなければなりません。実際の禅譲はこれとはだいぶ違うのです。
皇后の悲痛な嘆き
正史の曹節は献帝が禅譲を迫られると自ら渡さないように玉璽を握りしめ、兄からの使者たちを厳しく罵り続けたと言います。しかも数日間……この辺りは流石曹操の娘と言うか、曹丕の妹と言うか……しかし最終的に曹節は玉璽を使者に投げつけて涙を流し「天に祝福されないというのか」と言ったとされています。
その悲痛な嘆きに周囲の者は顔すら上げられなかった……三国志演義での彼女とはまるで真逆の振る舞いですね。
おそらく三国志演義ではあくまで曹丕は禅譲を無理やり迫ったことになっているので、その演出として彼女も悪女のような振る舞いをさせられてしまったのでしょうが、この場面は曹節のイメージがかなり変わること請け合いですので、ぜひ知って欲しい一幕です。
全てを見届けて
その後、正史でも献帝は山陽公となり、曹節は山陽公夫人として夫に最期まで従いました。
献帝は234年に死去。
曹節は260年に死去。
曹節が没する頃には既に曹一派の威光は司馬氏によって地に落ちていました。
「それ」に彼女は最期に何を思ったのでしょう。
「嘆いた」のか「恨んだ」のか、それとも「胸がすいた」のか……今となってはもう、想像してみるより他はありません。
三国志ライター センのひとりごと
初めて三国志演義で曹節を見た時、なんて嫌な人だ……と思いましたが、彼女は筆者が正史を見てから印象が変わった人物の一人です。
曹節の名前や行動が少しでも記録されているのは彼女が皇后になったからに違いありませんが、そこに至るまでの経緯を思うと複雑なものもあります。皆さんもこの機会にぜひ、曹節について知ってみて下さいね。
参考文献:後漢書皇后紀下
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