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子だくさん曹操の娘の一人『曹節』について語りたい。


 

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邴原(へいげん)が立ち上げた学問所に子供の生徒たちが集まる

 

古代より、子供は宝です。

身もふたもない言い方をすると子供は人材であり、その人材無くして家も国も成り立ちません。

 

曹操 五胡十六国

 

なのでそれなりの地位につくと子供はたくさん欲しいものとなるのは自然の摂理であるのかもしれませんね。さて三国志の英雄の中でも子だくさんなのが曹操(そうそう)、今回は曹操の子供の中から一人、曹節(そうせつ)についてお話をしたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操のたくさんの「御子」たち

曹操

 

曹操は本当に子だくさんです。何と名前が判明している男子だけでも25人、更に言うと女子の方は判明しているだけで6人もいます。もしかしたら名もなく、夭折した子供もいる可能性もないとは言えないし、名前が残っていないだけで更にもっといたのかもしれませんが、それにしても凄い数ですよね。

 

髀肉の嘆の劉備

 

同じ時代を生きた劉備(りゅうび)孫権(そんけん)よりも曹操がこんなに多いのはやっぱり曹操が「お盛ん」だったから……?

いやいや、そうとばかりも言えないんですよ。

 

どうして曹操は子供がこんなに多いの?

13人の妻達(曹操)

 

曹操の奥さんは14人いました。

「やっぱり曹操はお盛んじゃないか!」と言われそうですが、そうとも言い切れません。

 

女性が好きな曹操

 

曹操は劉備や孫権とは違い、早い頃から自分の領土を手に入れることができ、基盤を作り、ある意味で安定していたのです。

 

劉備と的盧

 

逆に例を挙げると、劉備は永く領土を持てず、長坂で妻の一人を、下手をすると子供まで失っていた可能性もあるので、曹操はそれだけの環境を作り上げていたということなのですね。そう考えると多くの妻を娶ることができて、子を育てられたというのはある意味で当然のこととも言えるでしょう。

 

献穆皇后(けんぼくこうごう)

魏の皇帝になる曹丕

 

では曹操の娘、曹節の話に移りましょう。彼女は曹操の娘で、後に皇帝となる曹丕(そうひ)からすると妹になります。しかし彼女の母親については分かっていません。曹丕と同母であればそう書かれると思うので、また別の女性の子だったのでしょう。

 

献帝

 

そんな彼女は曹節という名前よりも、献穆皇后(けんぼくこうごう)という名の方が有名です。

そう、彼女は献帝(けんてい)の妻であり、皇后になった女性です。

 

献帝の妻になって

献帝を保護する曹操

 

彼女は213年7月に姉、妹と共に献帝の妻になりました。これは曹操が献帝を保護したことによって、献帝との結びつきを強めるためでもあったのでしょう。翌年に曹節を含む三人の姉妹は皇后に次ぐ地位、貴人の位を与えられます。

 

処刑寸前で止める廬毓(ろいく)

 

しかし悲劇は起こります。215年に伏皇后の父親が謀反を計画したことが発覚、既に父親は亡くなっていたものの遺族は処刑されることとなり、伏皇后も処刑されました。曹節はすぐ皇后に立てられた訳ではなかったようですが、やがて皇后に立てられることになったのです。

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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