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この記事の目次
切除した男性器は保管し死んだ後に棺に入れる
さて、切り取った男性器ですが、これは捨てる事なく刀子匠が腐敗しないように加工した上で壷に入れて保管しました。この壷は、宮廷に入る時に確かに自宮した証拠として去勢者が持参しなくてはいけないものだったのです。宮廷に入って後は、男性器は宝と呼ばれ、一カ所に大事に保管し、宦官が死後埋葬される時には棺に入れられました。
中国は土葬の国だったので、肉体の一部が欠損すると生まれ変わった時に障害が残るという考えが根深くあり、宦官が、生まれ変わった時に不能にならないように、切除した男性器も棺に入れたのでしょう。
屈辱と悲しさと
自宮して宦官になっても、皇帝の取り巻きになり栄耀栄華を極められる宦官は1%もいませんでした。宦官の世界は厳しい縦社会であり、折檻は日常茶飯事、特に去勢してしばらくは、不意に尿を漏らすなど、精神的にキツイ状態が続き、また中国の自宮は睾丸も陰茎も切除するので、小便はしゃがんでするしか出来ませんでした。
男ではなくなったという精神的なショックと、残ったままの性欲、ホルモンバランスの乱れによる精神的な不安定、栄耀栄華を夢見て自宮しても、その道はやはりイバラの道だったのです。
それでも、食べる事も出来ずに飢えて死んでいく貧民の暮らしに比べれば、最悪食べる事だけは出来る宦官の暮らしが、マシだったかも知れませんが・・
中国史ライターkawausoの独り言
宮刑は戦いで捕虜にした敵を殺す事なく奴隷とし、同時に血筋を絶やす方法として生まれました。
やがて、それは刑罰として整備され残りますが、宦官の特徴である性的不能や一代限りという特徴が、後宮の美女管理や、権力者が重用するのに好都合という理由で皇帝に寵愛されて栄華を極めるなど成功した宦官を産み出す事にもなります。
明代以後は、宦官の大量採用もあり、自ら去勢して宦官になり栄耀栄華を求める貧しい男性が続出し、チャイニーズドリームの受け皿になりますが、去勢手術は野蛮そのものであり、実際に夢を掴む者は1%もいないのが現実でした。
参考:Wikipedia
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