日本はどうして経済格差が小さい社会を築けたのか?

2020年8月28日


 

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30年くらい前までの日本は1億総中流社会と呼ばれる経済格差が小さい社会でした。また、格差の小ささは出身による差別というものを取り除き、日本においては、○○県出身者が就けない職業というものはありません。

 

 

どうして、日本においては歴史上格差が小さいのか?

今回は「土地と財産で読み解く日本史」を参考に、格差の小さかった日本の歴史について解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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格差が小さいのは土地と財産を再分配していたから

にぎわう市(楽市・楽座)

 

日本において、経済格差の小さい平等社会が実現した理由は、歴史上何度も土地と財産を一手に握っていた権力者が倒され、彼らが抱えていた土地と財産が国民に再分配されたからです。

 

呉南蛮異民族をボコボコにする潘濬(はんしゅん)

 

逆に言うと、世界史では一握りの特権階級が土地と財産を独占して国力が弱体化し天変地異や異民族の侵入により国が滅亡するという事が多くありました。

 

三国志のモブ 反乱

 

一握りの権力者に、土地と財産が独占されると99%を占める国民が活力を失い、国に従うのがバカらしくなり、暴動を起こしたり逃げたりして、やがて滅亡するのです。では、滅亡を回避した日本の土地と財産の再分配の歴史を見てみましょう。

 

民の救済としての大化の改新

聖徳太子

 

日本における最初の土地と財産の再分配は大化の改新(たいかのかいしん)で行われました。大化の改新以前の大和朝廷は、各地の豪族の調整役という立場であり突出した力を持っていませんでした。

 

亀甲船(朝鮮水軍)

 

しかし、日本が朝鮮半島に持っていた植民地、任那(みまな)や友好国である百済(くだら)が大陸に成立した唐王朝や、新羅(しらぎ)の朝鮮半島への侵攻により滅亡する事態に成ると、これまでのような調整役の朝廷ではなく、全ての豪族を支配下に置き、日本中の土地と財産を朝廷に集め強力な中央集権国家を樹立する必要が出てきました。

 

この朝廷にとって、もっとも邪魔だったのが物部氏(もののべし)を倒して最強になった蘇我氏(そがし)であり、蘇我氏を滅ぼして、大和朝廷が全国の豪族の頂点に立ったのが大化の改新でした。

 

こうして、豪族から公地公民制(こうちこうみんせい)で私有民と土地を取り上げ、さらに班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)で国民に土地を分け与え、収穫の3%という低率の税を取り、それまで豪族に搾取されていた人民から広く薄く租税を取る事で人民の暮らし向きを相対的に改善したのです。

 

ほのぼの日本史

 

公地公民が崩壊し荘園が広がる

荘園に逃げ込む鉄の職工達

 

一度は公地公民制と班田収授法で中央集権制を確立した大和朝廷ですが、100年程が経過すると、天然痘のような伝染病や、土地が私有できない事による耕地面積の停滞という社会問題が発生しました。

 

そこで、朝廷は三世一身(さんぜいっしん)の法、さらに墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を発布し開墾地の私有を認めたので、土地公有の原則が崩壊、開墾地面積でも寺社に広大な面積保有が認められたので、寺社は大土地所有者になり、各地に寺社荘園が急速に広がっていきます。

 

大和朝廷は疫病、天変地異、蝦夷討伐(えみしとうばつ)等で出費が増大、各地に国司を派遣しコストを掛けて行っていた口分田の再配分も出来なくなり、土地の把握も怪しくなって国有地まで、私有地として荘園に飲み込まれる事態が発生。

京都御所

 

朝廷も、荘園整理令などで、不当に荘園に取り込まれた口分田(くぶんでん)を取り戻したりしていましたが、荘園の増殖は止める事が出来ず、朝廷は弱体化、畿内にしか支配力が及ばなくなり、地方には自警団としての武士が発生し、やがて、貴族に取って代わっていくのです。

 

複雑な税体系に苦しむ荘園農民

宋銭 お金と紙幣

 

荘園が誕生した後、院政期から保元、平治の乱を経て、貴族が権力を失い鎌倉幕府が成立すると、征夷大将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)は全国の荘園に守護と地頭を派遣する事を後白河法皇に認めさせ、荘官と折半で年貢を取って御家人に与えるようになりました。

 

戦国時代の武家屋敷b

 

その後、鎌倉幕府が倒れ、室町幕府が開かれると軍事を司る守護に半済令(はんさいれい)が認められ、荘園から年貢の半分を徴収できる権限が与えられます。さらに「段銭(だんせん)」という税金を軍事費として荘園に課す権限まで守護は持つようになりました。守護はこうして、任地を経済的に支配する守護大名への道を歩み始めるのです。

 

荘園で働く人民は、荘官、地頭、守護、寺社勢力、加子地名主(かごちなぬし)のような新興農民地主に何重にも税を取られ苦しい生活を強いられるようになっていきました。

真田丸 武田信玄

 

戦国時代になると、守護大名や国人領主から室町幕府の影響力を一切排除して、領地を排他的に支配する戦国大名が誕生していきます。しかし、彼らは荘園の強大な中間搾取勢力である寺社や国人勢力を統治には邪魔だと思っても、紛争を恐れて排除する事が出来ず、結果、荘園の中間搾取はそのまま残されました。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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