五輪は貴族のもの!アマチュア規定の本当の理由

2020年9月3日


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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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軌道に乗った近代五輪

 

初回のアテネ大会こそ成功したものの、オリンピックの前途は多難でした。第二回パリ大会は、スポーツを低俗な娯楽とみなすフランス人政治家の冷淡な対応でパリ万博の付属イベントになり、iocは蚊帳の外というグダグダ運営で大失敗。

 

第三回のセントルイス大会も、万博と抱き合わせという添え物扱いで、失敗を予想したクーベルタンは渡米さえせず、競技もネイティブアメリカンの少数部族徒競走のような興行まがいの事が行われて大失敗でした。

 

次の第四回ロンドン大会も、五輪は万博の添え物扱い、運営費の問題やイギリスびいきの判定、アメリカとイギリスのナショナリズム紛争で揉めますが、最期のマラソンが大好評で人気爆発し、ようやく万博の添え物から脱却します。

 

1912年の第五回ストックホルム大会では、クーベルタンのIOC委員としての権限が強まり、かつてない程に運営が上手くいきました。実に苦節16年で、オリンピックは軌道に乗り、今日の姿になったのです。

 

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近代オリンピック

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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