正史三国志の著者と言えば陳寿、そしてその正史三国志に注を付けたのが裴松之こと裴松之先生です。この(場合によっては)裴松之先生の主観がたっぷりと盛り込まれた注は、正史三国志の読みごたえと面白さを倍増してくれていると思います。
そこでこの裴松之の注について、今回は解説していきたいと思います。
裴松之の「注」のポイント
まず裴松之の注における「ポイント」をご説明しましょう。
注釈というのは簡単に言うとその文章に対する解説ですが、裴松之の注はただの注釈ではありません。その注のポイントは「足りない内容を補う」「異説もなるべく載せていく」「誤り修正」そして何よりも「自分の意見を述べていく」というものがあります。
つまり正史にはない異聞、異伝は何でも載せていくので、武将によっては注で伝の内容が大きく膨らむことがあるのがポイントとなっているのです。
主観たっぷりの面白さ?
そして前述したように、裴松之の注のポイントには「自分(裴松之)の意見」があることが特徴です。なので異聞、異伝を乗せた上で「こう書いてあるけど信頼できない話だよ」とか「だけど私はこう思うな」という感想と言えばいいのか、ツッコミと言えばいいのかな意見も添えられているのです。
このため裴松之の注だけでも後の世の三国志ファンたちは議論を交わすこともあり、また正史三国志の「読み物」としての面白さを格段に付け加えていると言っても良いでしょう。
三国志演義の土台となった注
そんなこんなで歴史書としての信憑性はひとまず置いておいても、正史三国志は読んでいて面白い本となりました。そこから講談師たちが三国志を話として使うようになり、三国志が民衆に広まっていったのです。
更にここから三国志平話なども混ざって、三国志演義が生まれたとされています。つまり裴松之の注が付けられたからこそ三国志演義が生まれた、この注は三国志演義の土台となったとも言えるでしょう。
陳寿との違い
さて正史三国志の著者は陳寿です。この陳寿の書いた三国志と裴松之の注の違いポイントもご説明しておきましょう。簡単に言うと陳寿のまとめは歴史書。簡潔にまとめ、あくまで自分の意見が表に出てこないように……とは言えちょっと匂わせつつまとめられています。
対して、裴松之の注は非常に大量の異説、異伝をまとめた上で、自分の意見を盛り込んでいるという、二人の三国志に対する立ち位置は真逆とも言えます。だからこそこの二人の合作とも言える三国志は、面白くなったのが凄いですよね。
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