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この記事の目次
シンデレラ?何皇后
そんな寵愛から大出世を果たした何皇后ですが、元々は役人に賄賂を渡して後宮に入ったといいます。そうして霊帝の目に留まり、寵愛を受けました。これを見ていると頭が良く、美貌の人のイメージがありますね……そしてちょっと意地悪そう。
実際に何皇后は気が強く、他の妃嬪たちは彼女を恐れていたそうです。
そうして霊帝待望の男子、劉弁を産みますが……ここで何皇后は史氏という道人の元で息子を養育させます。ここでちょっと怖いことが書かれているのです。
不穏な記述
待望の男子と言いましたが、実は霊帝にはこの劉弁以前にも子供自体はいたようです。しかし「霊帝の子供はそれまでみんな育たなかったから道士に預けて養育された」という注釈があり、劉弁以前の子供たちはもしかしたら後宮での争いに巻き込まれて……ということも考えられると思います。
逆に道士に養育された、つまり後宮で育てられなかったからこそ劉弁は成長できた、と言えるかもしれません。そう考えると恐ろしいですね。
献帝
さて何皇后は気の強い女性と言いましたが、それが良く分かる、そして後宮の不穏さが良く分かる一説を。献帝の母である王貴人は、霊帝に寵愛されて貴人となりました。また劉協、後の献帝を産んだことでそのお役目も無事に果たします……が、男の子を産んだと聞くや嫉妬に狂った何皇后、王貴人を毒殺してしまいます!
何皇后は霊帝の怒りをかって廃位されそうになりますが、宦官たちのとりなしもあり、無事にその地位は守られます。そして母を失った幼い献帝は祖母によって養育されることになりました。
後宮と言う場所
こう見ていくと少帝も、そしておそらく献帝も、幼い頃に後宮ではない別の場所で育てられていたことになります。また霊帝も元々は地方で育ち、皇帝として擁立されたので後宮で育ってはいません。
親子兄弟、三人。もしかしたら彼らが紆余曲折を経て皇帝となれたのは、その命が続いたから。その命が続いたのは運よく育てられたからではなく「育つことができたから」……そう考えて見ると、三国志の中では触れられていないものの、漢王室の後宮は本当に恐ろしい場所だったのでは……そんなことを考えてしまった今回でした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は漢王朝、漢王室の特に後宮と言う場所について注目してみました。こういったドロドロしたお話、嫌いではありません。三国志ではある意味前日譚とも言えるためにさらりと流されてしまいますが、実はここだけでもお話になるのでは……?そんなことを思った筆者でありました。
参考文献:後漢書寇恂伝付寇栄伝 孝霊帝紀 / 皇后紀下
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