4671名に聞きました!赤壁の戦いの最大の功労者は誰?の集計発表!

2020年10月9日


 

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朝まで三国志2017-03 kawauso

 

はじめての三国志TV』をご覧の皆様お待たせ致しました。過去にアンケートを取りました。

 

赤壁の戦い

 

『赤壁の戦いの最大の功労者は誰だと思いますか?(演義正史を問いません)』こちらの集計結果が完了しました。今回は4671 票もの沢山の投票が集まりましたが、全体では47%の得票を集めて、呉の美周郎、周瑜が第1位に輝きました。パチパチパチパチ!

 

周瑜

 

2位は諸葛亮(しょかつりょう)で23%、3位は龐統(ほうとう)で13%、4位は孫権で4%、その他13%でコメントなどでは、魯粛(ろしゅく)黄蓋(こうがい)などを上げる声も寄せられましたが、結果としては過半数に近い47%の方が周瑜推しという結果を踏まえ、周瑜をフィーチャーした記事を執筆致します。

 

後悔する孫権

※4%の投票率の低さに赤面するアル中ヒゲダルマ

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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周瑜が群臣を大論陣!

周瑜

 

三国志演義では、曹操が二喬(にきょう)を左右に(はべ)らす事を望んでいると諸葛亮に()きつけられ、思わずカッとして曹操と戦う事を決めた周瑜ですが、正史においては、数少ない抗戦論者だった魯粛が孫権を説得し、鄱陽に駐屯していた周瑜に意見を求めさせた事で、周瑜の出番が回ってきます。

 

周瑜と魯粛は非常に仲が良く、お互いに曹操をぶっ潰すという事で、すでに意見が一致していました。そして、三国志演義では諸葛亮がした事になっている大論陣を実際に行ったのは周瑜です。

 

張昭

 

周瑜は降伏派の群臣が、曹操は山犬や狼のような残忍な男であり、漢王室を抑え、さらには荊州の劉表を下して水軍も手に入れ、もはや長江を頼みにした呉の戦略も崩壊しているので勝ち目はない。早く降伏すべきだと主張するのに真っ向から異を唱えます。

 

 

諸君、それは違う!曹操は漢の丞相のような体裁をしていても事実は賊に過ぎない。

一方で、我らが主は神武雄才であり、加えて父兄の偉大な功績により江東に長く割拠し、

治めている土地は数千里、兵力も兵糧も万全であり、皆日々の暮らしを楽しんでいる。

 

今こそ、我らは天下に打って出て、漢王室の汚物を拭き取らねばならない!

曹操めは、自ら我が精鋭に殺してもらいに来るのだ。

どうしてこれを、もみ手をしながら、迎える必要があるだろうか?

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

殿の為に、今少し戦略を述べるのを許していただければ、

今、たとえ華北が曹操に平定され、内憂(ないゆう)外患(がいかん)もなく、長期間、我が水軍と境界線を争う事が可能だとしても、

我が水軍と連中がまともに勝負ができるでしょうか?

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

ましてや、華北は未だに平安ではなく馬超や韓遂はなお関中にあり、その獰猛(どうもう)さで曹操を悩ましています。

さらには、慣れた馬と(くら)を捨て船を操り、呉越(ごえつ)と戦おうなどとは、元来、華北人の得意とする所ではありません。

 

くわえて今は厳冬であり、馬に飼葉がなく陸に慣れた兵士を駆って遠く水上に留まらせれば、

兵は水に慣れず必ずや疫病を生じるでしょう。

曹操を殴る孫権

 

ただいま述べた事は、華北の軍が南征する上での弱点であり、曹操めは全てに当てはまっています。

殿が曹操を捕虜とするのは正に今なのです!

精兵三万人を私にお貸し頂きたい、進んで夏口に駐屯し祖国の為、賊を破る事を請け負います。

 

周瑜

 

このように周瑜は、カッコよく群臣と孫権を完全に説得しています。魯粛がいても、周瑜の優れた弁舌がなければ孫権と言えど多数の降伏派を抑え込むのは不可能でした。

 

・周瑜が赤壁の一番手柄だと指摘された方は、

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

佳仁(よしひと)さん

周瑜に入れたけど演技なら諸葛亮、正史なら周瑜かな。孫権軍を決戦に決定させたのは周瑜だし・・

もちろん魯粛も大きく関わってるけど、魯粛は孫権本人までで群臣まで説得出来なかった

 

相当やべぇヤツさん

功は周瑜

労は魯粛

 

Shown W.さん

周瑜でしょ、周瑜がいなきゃ呉は降伏してたから戦いすら起きてないぞ

 

バイロゲイザーさん

周瑜がいなかったらそもそも赤壁起こってもいないと思います

 

MrYoshichan(みすたーよしちゃん)さん

こんなの、アンケートの必要もないでしょ。周瑜が第一、孫権が第二です。

 

以上の5名様でした。

 



赤壁の前哨戦は周瑜と程普コンビの手柄

周瑜と程普

 

正史三国志の周瑜伝においては、劉備も諸葛亮もほぼ出番がない付属品扱いで、赤壁の戦いの前半戦は、周瑜と程普の手柄であるように描かれています。

 

時に劉備は曹操に撃破され、南に引き退いて渡江しようとしていたが、魯粛と当陽で遭遇すると

共に計略を謀り夏口に駐まり、諸葛亮を遣って孫権に挨拶させた。

孫権はこうして、周瑜及び程普らを派遣して劉備と力を合わせ曹操と赤壁で対峙した。

この時、曹操の軍兵にはすでに疫病が生じて戦意が低く、ひとたび交戦すると曹操の軍は敗れ、

退却して江北に駐屯した。周瑜らは南岸に陣取った。

 

内容に納得がいかないkawauso様

 

こうしてみると、周瑜伝における劉備は付属品で、諸葛亮は孫権に挨拶しただけの人ですね。それにしても、周瑜が予言した通りに曹操の陣営では疫病が大流行し、初戦は戦闘にならずに曹操が引き上げており、周瑜の先見性が際立つ戦いです。

 

・周瑜の指揮能力の高さに着目した方々は

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

飯塚望(いいづかのぞみ)さん:

周瑜が指揮をとりましたからね

T iexanderさん:
演義は盛りすぎ。赤壁は基本周瑜の手柄でしょ。他の人物ももちろん働いたと思うけど。

 

x tnk

周瑜に集まる感じ、予想通りすぎて退屈

 

じつどうだいすけさん

周瑜以外にはいないでしょう。周瑜の武昌進出が夏口にいた劉備との共闘を生み、対岸の江夏を拠点に野営していた曹操軍の自滅(疫病)を呼び込みました。最も、曹操軍を自滅させたのは『北方の将兵を動員して、風土病に遭わせた』二代目軍師祭酒の董昭とそのとりまきの王朗・華歆ですが(ちなみに、赤壁敗戦で董昭は軍師祭酒を解任されています)

 

株式会社 廻縁(かいえん)代表取締役 吉光謙輝(よしみつけんき)さん

周瑜でしょうね。

正史で劉備軍はどちらかというとおまけ感強いので

 

以上の5名の方でした。

 

赤壁の戦い

 

赤壁後半戦は黄蓋の独壇場

むち打ちで裁かれる黄蓋

 

さて、赤壁の戦いの後編ですが、周瑜伝においてでさえ黄蓋の独壇場。曹操の大船団を焼き払った最大の功労者は黄蓋と断言しても間違いなさそうです。苦肉の策は三国志演義の創作ですが、それ以外、ほぼ史実通りであり、何より火をつけた船を曹操の軍船に突っ込ませるという奇策は黄蓋から出たものである事が分かります。

 

 

この時、周瑜の部将であった黄蓋が言うには

 

「敵は多勢で我が軍は無勢、これでは持久するのは困難です。

調べた所、曹軍の軍艦はそれぞれ船首と船尾を繋いでおり、

火を掛ければ敗走させる事が出来ましょう」

 

黄蓋は、曹操に周瑜が勝ち目がない戦いをしようとしているので降伏したいと降伏を偽装する手紙を差し出し、

降伏の日時を知らせておき、蒙衝や闘艦、数十隻を選んで薪草を満載に積んで、魚油をたっぷりと振りかけて

幔幕で覆って、内側が見えないようにし、牙門旗を押し建ててた。

三国時代の船 蒙衝

 

さらに、あらかじめ小舟を備え、各々、蒙衝や闘艦に綱で繋ぎ牽引しながら進んだ。

曹操軍の兵士は、皆な首を伸ばし、船が見えると黄蓋が降ると口々に叫んだ。

黄蓋は、慌てずに十分に船を曹操軍に近づけ、引っ張って来た小舟を切り離す。

こうして、蒙衝、闘艦は曹操の軍船に激突し、同時に炎を吹き上げた。

赤壁の戦い

 

時に、風は強く吹きすさび、湖上の火災は岸上の兵営に飛び火して延焼した。

しばらくすると、煙炎は空を赤く焦がし天を覆い、人馬の焼け死に、溺れ死んだ者は

甚だ多く、曹軍は敗退し、引き返して南郡に籠城した。劉備は周瑜らとこれを追った。

 

赤壁の戦いで活躍する黄蓋

 

これは黄蓋の大活躍と言えるでしょう。周瑜としては持久戦で疫病で曹操が音を上げて退却するのを待つ戦略であったのを、黄蓋が曹操軍が船酔い予防で船と船を結び付けて安定させているのを見て取り、これなら火攻めで焼き払えると判断したと言えます。

 

・赤壁の戦いは、周瑜と黄蓋の手柄だと指摘した方々は

朝まで三国志2017 観客1 モブ

 

みちくんさん

周瑜か黄蓋のどちらかだと思います。

 

陸戦型ボールカスタムさん

周瑜に1票入れましたが、孫権よりは黄蓋をエントリーして欲しかったですね。

 

緋謀中将(ひぼうちゅうじょう)さん

諸葛亮と孫権はこの先目立った活躍することありそうだから、消去法で周瑜。

でもどちらかといえば黄蓋と周瑜ワンセット扱いな気がするわ。

 

DX SP 新しいお父さんEXさん

そりゃ草船借箭(そうせんしゃくせん)しちゃったり東風吹かせたり羽扇(うせん)からビーム出しちゃうコーメーセンパイじゃないっすかねぇ?(周瑜に投票)

 

以上4名の皆さんでした。

 

まとめ

 

今回も皆さんの三国志愛と、深い知識が伝わるアンケート結果でした。アンケートの選択肢にはありませんでしたが、黄蓋にコメントで言及する方が多く、改めて正史で黄蓋を調べてみると、曹操の船団を焼き払った第一の功労者だと感じました。

 

魯粛や劉備や、諸葛亮に投票して頂いた皆さん、アンケート結果を反映できず誠に申し訳ありませんでした。でも、これに懲りずにまた投票して頂けると嬉しいです。

 

ASMR

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-一億二千万人の三国志