【漢王室の後宮内ドロドロ事情】霊帝の子息の謎


 

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西洋が好きな霊帝

 

今回は三国志の前時代とも言える、漢王朝について。特にその中でも霊帝(れいてい)の子供たちの謎に迫っていきたいと思います。

 

献帝

 

霊帝の子供、子息と言うと献帝(けんてい)少帝(しょうてい)が有名ですが、実は……そんなちょっと「こわい」おはなしに迫ってみましょうか。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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霊帝の前の皇帝、桓帝

桓帝

 

まず少し桓帝(かんてい
)
の子供について触れておきましょう。

 

桓帝は名前が分かっている限りの妻が七人ほど。そして少なくとも九人以上の高位の妃嬪(ひひん)がおり、何と妃嬪だけでも千人以上いたと言われています。しかしその子供たちで名前が伝わっているのは女子が三名、男子はいません。これだけの奥さんがいながら子供が三人、女子のみ……ここだけでも少し違和感を覚えるかと思いますが、次の霊帝(れいてい)にいきましょう。

 

霊帝の擁立

 

さて桓帝には男子がいませんでした。そのためお鉢が回ってきたのが霊帝こと劉宏りゅうこう)です。彼は地方で暮らす貴族でしたが、実際には貴族と言っても貧困生活をおくっていたようです。同じ河間(かかん)王家出身であったことから擁立され、齢13才にして皇帝となりました。

 

 

彼の最初の皇后は宋皇后(そうこうごう
)
と言いましたが、彼女は気が弱く寵愛されずにいたといいます。そして先の皇帝桓帝の弟、劉悝(りゅうかい
)
宦官(かんがん)の謀略によって失脚させられ、三族皆殺しにあった際に、劉悝の妃が栄皇后と同族であったことから報復を恐れられ、無実の罪で誣告され、皇后を廃され自殺するという何ともドロドロした皇室の争いに巻き込まれています。

 

新しい皇后

王族ボンビーから一転セレブ06 董太后、霊帝、何皇后(女性)

 

そして霊帝の妃と言えば、なこの人が皇后となります。そう、何皇后ですね。何皇后は皇帝に寵愛され、異母兄である何進(かしん)は最終的に大将軍となりました。しかし何進も何皇后も元は家畜の元は家畜の屠殺、そしてその肉を販売していたといいます。

 

何進

 

つまり言ってしまうと二人ともごく普通の一般人。ですが何皇后が霊帝に見初められ皇后になったことで家臣は皇帝付きの武官に、黄巾の乱の際には大将軍となりました。ある意味一族揃って大出世と言えるでしょう。

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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