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実は三国志時代を生んだ存在?宦官の正体


 

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十常侍(宦官)

 

宦官(かんがん)三国志、特に三国志演義ではいきなり十常侍(じゅうじょうじ
)
という存在として出てくるため、この強烈な存在は後々まで印象に残っていることでしょう。ですが同時にこの宦官には「悪」というイメージが何となく付いている、そういう人も多いと思います。

 

しかし宦官とは、実は三国志時代を生んだ存在だった……!?

今回は、そんな宦官について、できるだけ分かりやすくご紹介したいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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宦官とは?

宦官

 

さて、ちょっと生々しいお話もすることになりますが、宦官とは。

 

宦官とは男性器を切り落とした人物……と思われていますが、元々は官僚の役職名です。男性器を去勢した人は「エン人」と呼ばれ、他にも多数の呼び方があったようですが、時代が過ぎていくにつれて宦官と言う役職にはこのエン人しかいなくなったため、役職名と同一した呼び方となったようです。

 

張譲 宦官

 

またその昔はこの宦官になるのは「刑罰」もしくは「他国の捕虜」になった男性がこの宦官の役目になっていました。ここは重要ポイントなのでちょっと覚えておいて下さいね。

 

宦官、次第に権力を求めて

張譲(宦官)

 

さて刑罰の果てであった宦官は、段々と皇室内で権力を握るようになってきました。

 

宋代の公務員試験である科挙

 

というのも当時、官僚になるには現代でいう司法試験よりもずっとずっと入口が狭い科挙(かきょ)に受かる、そしてもしくはこの宦官になる、というある意味二者択一の選択肢しかなかったのです。当初は刑罰であった宦官は、次第に権力、そして地位を得るための手段となっていったのは皮肉な話ですね。

 

科挙の歴史

 

宦官登用の背景

献帝(はてな)

 

そんな宦官、どうしてそこまで必要とされた役職となったのでしょうか?

 

王族ボンビーから一転セレブ07 董太后、霊帝、王美人(女性)

 

まず宦官を部下にする大きなメリットとして、後宮の女性に手出しされないということがあるでしょう。そして同時に大きい理由として、宦官は「子供を残せない」ということがあります。

 

王族ボンビーから一転セレブ06 董太后、霊帝、何皇后(女性)

 

つまり一人の宦官が権力を持ったとしても、その子らにまで権力が渡ることはありません。後々起こってしまうような、一族に皇帝の座を奪われる心配がないのです。そういう意味で、宦官は皇室で重要視されていきました。

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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