実は三国志時代を生んだ存在?宦官の正体

2020年10月11日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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十常侍(宦官)

 

宦官(かんがん)、三国志、特に三国志演義ではいきなり十常侍(じゅうじょうじ
)
という存在として出てくるため、この強烈な存在は後々まで印象に残っていることでしょう。ですが同時にこの宦官には「悪」というイメージが何となく付いている、そういう人も多いと思います。

 

しかし宦官とは、実は三国志時代を生んだ存在だった……!?

今回は、そんな宦官について、できるだけ分かりやすくご紹介したいと思います。

 

宦官とは?

宦官

 

さて、ちょっと生々しいお話もすることになりますが、宦官とは。

 

宦官とは男性器を切り落とした人物……と思われていますが、元々は官僚の役職名です。男性器を去勢した人は「エン人」と呼ばれ、他にも多数の呼び方があったようですが、時代が過ぎていくにつれて宦官と言う役職にはこのエン人しかいなくなったため、役職名と同一した呼び方となったようです。

 

張譲 宦官

 

またその昔はこの宦官になるのは「刑罰」もしくは「他国の捕虜」になった男性がこの宦官の役目になっていました。ここは重要ポイントなのでちょっと覚えておいて下さいね。

 

宦官、次第に権力を求めて

張譲(宦官)

 

さて刑罰の果てであった宦官は、段々と皇室内で権力を握るようになってきました。

 

宋代の公務員試験である科挙

 

というのも当時、官僚になるには現代でいう司法試験よりもずっとずっと入口が狭い科挙(かきょ)に受かる、そしてもしくはこの宦官になる、というある意味二者択一の選択肢しかなかったのです。当初は刑罰であった宦官は、次第に権力、そして地位を得るための手段となっていったのは皮肉な話ですね。

 

科挙の歴史

 

宦官登用の背景

献帝(はてな)

 

そんな宦官、どうしてそこまで必要とされた役職となったのでしょうか?

 

王族ボンビーから一転セレブ07 董太后、霊帝、王美人(女性)

 

まず宦官を部下にする大きなメリットとして、後宮の女性に手出しされないということがあるでしょう。そして同時に大きい理由として、宦官は「子供を残せない」ということがあります。

 

王族ボンビーから一転セレブ06 董太后、霊帝、何皇后(女性)

 

つまり一人の宦官が権力を持ったとしても、その子らにまで権力が渡ることはありません。後々起こってしまうような、一族に皇帝の座を奪われる心配がないのです。そういう意味で、宦官は皇室で重要視されていきました。

宦官という存在

黄皓

 

と、まとめると宦官になると専横しまくり、皇室でやりたい放題に思えるかもしれませんが、決してそうではありませんでした。名目上の宦官は「官僚」という役職ですが、宦官は他の人々からは嫌悪され、嫉妬され、そして侮蔑を向けられる役職でもあったのです。

 

孔子と儒教

 

というのも時は儒教の時代、親から貰った体に傷を付けるというのさえいけないこととまで考えられる時代に、自らの意思で体の一部を捨てる、子孫が残せなくなるので家の終わりを迎えてしまう、こういう存在となってしまう宦官とはもはや人の道からも外れた者として扱われ、だからこそ刑罰とされていたのです。

 

宦官の趙高

 

このために、高い地位についていても宦官とは見下されることが多く、侮蔑の対象であり、地位と権力を持っていてもひどい扱いを受けていたとも言われています。

 

順帝、定める

宦官たち 

 

さてここで少し時代は安帝(あんてい)の頃に。安帝の時代も終わりに近い頃から、外戚(がいせき
)
となった皇后の親族である閻氏や側近の宦官らの讒言により、本来次の皇帝となる嫡子の順帝は一時的にですが廃嫡されました。

 

進軍する兵士b(モブ用)

 

しかし後に宦官の孫程のクーデターにより閻氏らが打倒されたため、順帝は無事に皇帝となることができました。この順帝に良く使えた宦官の一人に、梁商がいます。彼は順帝の即位のために力を尽くしただけでなく、その後も良く政治を支え続けた名宦官と言っても良い存在でした。そして彼を含めて宦官に良く支えてもらった順帝、あることを定めてしまいます。

 

順帝、やらかす

宦官の趙高(キングダム)

 

それは「宦官でも養子をとっていいよ」ということです。前述したように、宦官は一代きりの権力しか持てないというのがある意味で最大の皇室にとってのメリットでした。そんな宦官だからこそ、外戚や何代も続いてきた重臣たちが権力を握り過ぎた時の対抗策となることもできたのです。

 

梁冀(りょうき)

 

しかも追い打ちをかけるかのように……なんかこの後の命運を感じるかのように……梁商が養子に取ってきたのはこの後に(悪名の方で)名高くなる梁冀(りょうき
)
。こうして後々皇室の権威は失墜、ある意味で順帝は三国志時代の幕開けを作ってしまった人物と言えるでしょう。

 

宦官のイメージ

三国志を楽しく語るライターセン様

 

さて最後に宦官のイメージについて。宦官のイメージと言えば悪い奴、というのは間違いではないこともないこともない……ええいどっちだ?……というのはジョークとして。

 

劉禅に気に入られる黄皓

 

宦官のイメージが悪くなった背景には、皇帝が権力を握る=裏に宦官がいる=皇帝が悪い政治をする=つまり宦官が悪い!という、別の言い方をすれば責任を皇帝ではなく宦官に押し付ける、という場面が多くされたからではないかな、とも思います。

 

怪しい巫女のい占いを信じる黄皓

 

もちろん、皇帝を操ってやりたい放題をした宦官もいたことでしょう。しかし実際には、優秀で忠誠心のある宦官も多くいました。どうしてもイメージから悪人の印象が強い宦官ですが、ただ一概に悪ではなく、色々な政治的背景もあったのだ……ということは、考えていきたいですね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は宦官について、筆者なりにまとめてみました。こう見ていくと宦官という存在は、政治背景には欠かせない存在であったことが分かります。曹操の祖父も宦官ですし、実は三国志の骨組みに宦官という存在も大きいのかな、と考えさせられましたね。

 

参考文献:後漢書 孝順孝沖孝質帝紀

参考:wikipedia 宦官

 

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宦官

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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