宦官、三国志、特に三国志演義ではいきなり十常侍という存在として出てくるため、この強烈な存在は後々まで印象に残っていることでしょう。ですが同時にこの宦官には「悪」というイメージが何となく付いている、そういう人も多いと思います。
しかし宦官とは、実は三国志時代を生んだ存在だった……!?
今回は、そんな宦官について、できるだけ分かりやすくご紹介したいと思います。
この記事の目次
宦官とは?
さて、ちょっと生々しいお話もすることになりますが、宦官とは。
宦官とは男性器を切り落とした人物……と思われていますが、元々は官僚の役職名です。男性器を去勢した人は「エン人」と呼ばれ、他にも多数の呼び方があったようですが、時代が過ぎていくにつれて宦官と言う役職にはこのエン人しかいなくなったため、役職名と同一した呼び方となったようです。
またその昔はこの宦官になるのは「刑罰」もしくは「他国の捕虜」になった男性がこの宦官の役目になっていました。ここは重要ポイントなのでちょっと覚えておいて下さいね。
宦官、次第に権力を求めて
さて刑罰の果てであった宦官は、段々と皇室内で権力を握るようになってきました。
というのも当時、官僚になるには現代でいう司法試験よりもずっとずっと入口が狭い科挙に受かる、そしてもしくはこの宦官になる、というある意味二者択一の選択肢しかなかったのです。当初は刑罰であった宦官は、次第に権力、そして地位を得るための手段となっていったのは皮肉な話ですね。
宦官登用の背景
そんな宦官、どうしてそこまで必要とされた役職となったのでしょうか?
まず宦官を部下にする大きなメリットとして、後宮の女性に手出しされないということがあるでしょう。そして同時に大きい理由として、宦官は「子供を残せない」ということがあります。
つまり一人の宦官が権力を持ったとしても、その子らにまで権力が渡ることはありません。後々起こってしまうような、一族に皇帝の座を奪われる心配がないのです。そういう意味で、宦官は皇室で重要視されていきました。
【次のページに続きます】