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ファティマの聖母とは?神の奇跡なんてほんとにあるの?

2020年10月17日


 

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神秘的な佇まいとカリスマ性を帯びた天草四郎

 

皆さんは奇跡を信じますか?

奇跡はWikipediaによると、人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごとだそうです。

 

科学者風の斉彬

 

これくらいなら、この世には科学で解明できない事もあるからと信じられるかも知れません。

でも神の奇跡を信じますか?と言われるとどうでしょう?今回は、ローマ教皇庁が正式に奇跡と認めたファティマの奇跡について紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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1917年5月13日牧童の前に現れたファティマの聖母

 

ファティマとは、ポルトガルの山の中にある小さな村です。第1次世界大戦の最中の1917年5月13日、ファティマに住む3人の牧童(ぼくどう)、ルシア、フランシスコ、ヤシンタの3名の少年少女がいつものように羊たちを連れて放牧しながらコーバ・ダ・イリアの丘で遊んでいました。

 

ファティマの聖母(女性)

 

すると、突然に強い閃光が走り、小さな柊の木の上に光そのもののように輝く貴婦人が立っていたそうです。3人が驚いていると、貴婦人は

 

「あなたたちにお願いがあります。これから6ヶ月間毎日13日にここに来て下さい」と3人に頼みました

 

子供達は、その言葉に従って、妨害にあいながらも毎月貴婦人に合い、その度にメッセージを受け取ります。そして、6ヶ月後に貴婦人は「ロザリオの聖母」と名乗ったそうです。この6ヶ月間の一連の予言が「ファティマの預言」と呼ばれるものでした。

 

3つの預言の内容

柊の木の上に輝くファティマの聖母

 

ロザリオの聖母の預言とは大きく分けて3つありました。

 

①地獄の実在

 

地獄は神話ではなく、全ての人間が行く可能性がある場所。そして、現在の人々は罪が多い生活や傾向で、死後地獄に導かれているとして3人の牧童に地獄のビジョンを見せ、人類に罪深い生活態度を改め回心するように示唆した。

 

②第1次世界大戦の終結と第2次大戦の勃発

 

第1次世界大戦がまもなく終結するが、人々が悔い改めなければさらに大きな戦争が起きて沢山の人が死に、その多くが地獄に落ちる。その前兆としてヨーロッパに不気味な光が見える。

 

③秘密の預言

 

第3の預言は秘密とされロザリオの聖母は1960年になったら公開するように、それまでは秘密にせよと牧童ルシアに命じた。それは「ファティマ第3の秘密」とされルシアを通じて教皇庁に伝えられるが、教皇庁はあまりの内容に絶句し、2000年まで公開しなかった。

 

※公開した内容は、1981年に起きた東欧の政権による教皇暗殺未遂事件とされるが、残りの2つとあまりにもかけ離れた内容で疑問も多い。

 

もう1つ、ロザリオの聖母は教皇庁にも、ロシアで大きな災厄が起きるので、ロシアの為に祈り、カトリック信者が敬虔(けいけん)な信仰を取り戻す事を要請しました。これは、当時ロシアで政権を握りつつあったソビエト共産主義政権の宗教への弾圧と聖職者への迫害について警告したもののようです。

 

カレンダーの世界史

 

太陽のダンス

 

3人の少年少女の牧童達が語るロザリオの聖母の奇跡に大人達も大きく動揺し、すでに3回目の聖母出現には800から1000人以上もの人が立ち会う大騒動になります。

 

当時のポルトガルは王を暗殺して樹立した共和国であり、カトリックと不仲でしたので、当局は、これを反共和派の扇動と警戒、3人の牧童を町に連れて行ったので、8月13日にはロザリオの聖母は預言をおこなえませんでした。

 

しかし、牧童が行かなくても、牧童の話を信じる巡礼者が2万人近くも集まったそうで、彼らは強い閃光とともに木の上に白い雲が立ち、また空に上っていくのを見たそうです。

 

9月13日、3人の牧童は解放され、再び丘の上に行くと聖母は再び出現し、「10月13日には、すべての人が信じるように1つの奇蹟を行います」と告げたのです。新聞はこの預言を報道し多くの巡礼者がファティマを訪れ集まった人々は10万人にも上ったそうです。

 

そこで奇跡が起きました。多くの目撃者の証言によると、雨が降った後に暗雲の切れ間から不透明で回転する円盤のような太陽が空に出現します。太陽は、通常の太陽よりかなりくすんだ色で七色の光を放ち、辺りの景色、人々、周りの雲を照らしたそうです。

 

それから太陽は、地上に向かい突進し猛スピードでジグザグに動いて通常位置に戻ったそうで、10分程度の奇跡の間に、太陽の接近により目撃者の濡れた服が完全に乾いたと言われています。

 

この太陽のダンスは、コーバ・ダ・イリアの丘に集まった10万人の人々の多くに同時に目撃され、その中には新聞記者も居合わせた事から、写真も撮影され記事も書かれ、世界中にファティマの奇跡として有名になったのです。

 

3人の牧童のその後

 

3人の牧童のうち、フランシスコ8歳、ジャシンタ7歳は1919年、1920年にそれぞれ当時猛威を振るったスペイン風邪で10歳と9歳で早世します。これは、ロザリオの聖母に預言されていた事だったそうです。

 

しかし、10歳のルシアは、ロザリオの聖母より生きて神の存在を広く世界に伝えるように命じられ修道女になり2005年97歳で亡くなりました。ただ、本当の彼女は死んで、ニセモノに入れ替わったという説もあります。

 

太陽のダンスは本当にあったのか?

 

10万人が目撃した太陽のダンスですが、本当に起きたのでしょうか?

 

第1には、これが本当に太陽が動いた奇跡だったのかという点ですが、1917年の10月13日には、太陽の異常な動きというのは、世界中、どこの天体観測所でも記録していません。

 

考えてみれば当たり前で、太陽が地上に近づいたり、ジグザグに動いたり、七色の光を放てば、コーバ・ダ・イリアの丘どころか、世界中、何億人の人間から奇跡の報告があるでしょう。この点から、太陽のダンスはコーバ・ダ・イリアの丘に集まった人々だけが見た奇跡だと考える事が出来ます。

 

しかし、実際には太陽のダンスは、目撃者によっても内容にかなり違いがあり、同時に全く見なかったという人も存在していて、丘に集まった人でも全員が見たわけではないのです。

 

それは集団幻覚ではないか?

 

10万人が目撃したとも言われる太陽のダンスですが、それは集団幻覚かも知れません。集団幻覚とは暗示の力で誘導される知覚上の幻覚の事で、情緒的に昂揚した状態と宗教的没入の中で発生しやすいと言われています。つまり奇跡を目撃できるかも知れない、出来れば目撃したいという期待と願望が引き起こす幻覚です。

 

1913年の春、何ヶ月にもわたりイギリスとアイルランドの全土で謎の飛行船が上空を飛んでいるという報道がありました。それはあらゆる島で何百という目撃証言が、何千人という規模で報告されたのです。

 

やがて、イギリスのデイリーメール紙は、

「外国の軍事勢力がおそらく規則的に系統だった飛行を繰り返しているようだ」と書きました。

 

当時のイギリスの仮想敵と言えば、後に対決する事になるドイツでした。しかし、1913年当時、ドイツには少なくとも飛行船が1機ありましたが、歴史上、どの記録もドイツの飛行船がイギリスやアイルランドの上空まで飛行したとは書いていません。

 

もちろん、目撃証言のように数百回もイギリスとアイルランド上空を往復するのは不可能でした。当時はドイツだけでなく、民間が所有する飛行船もありましたから、すべての目撃例が嘘とは言えませんが、数か月もの間イギリス上空を定期的に飛んだ飛行船などは存在しません。

 

これは集団幻視によって引き起こされた幻なのです。実際、当時のイギリスには、第1次世界大戦に向かう不穏な空気があり、テクノロジーの長足の進歩に対する恐れがありました。

 

ドイツの科学は世界イチィィーーーー!ではありませんが、新興の重工業国ドイツに対する恐れが、当時のテクノロジーの最先端、飛行船に結実し、ドイツが飛行船で攻めてくるかも知れないという心理的恐怖をイギリス人に与えた可能性は否定できません。

 

ファティマの奇跡は奇跡を求めた人々が産んだ幻覚?

 

実は、ファティマの奇跡が起きた頃のポルトガルでは、王党派の失政が続いて過激な共和主義者が台頭し、国王カルロス1世と王太子のルイス・フェリペが殺害されて革命が起きポルトガル共和国が誕生しています。

 

しかし、その後もポルトガル国内は王党派と共和派の間で揺れて政情不安であり、教会は弾圧され財産を没収、第一次世界大戦勃発後には、ポルトガルも失ったアフリカの植民地を求めて参戦します。一方で、国内は凶作が続き、戦費の負担で税金は重くなり農村から都市まで、暴動が頻発しました。

 

そして、1917年の12月には、ポルトガル陸軍少佐シドニオ・パイスが軍事クーデターによって政権を掌握し、翌年には独裁体制を敷くという事態になりますが、国内にはスペイン風邪が持ち込まれて1万人の死者が出て、食糧不足による生活苦からストライキが頻発しています。ポルトガル国内には将来の見えない混乱に対し、神の救いを求める人々が多く生まれる下地があったのです。逆に言えば、ロザリオの聖母は突然にやってきたのではなく、ポルトガルの人々の救いを求める心が産み出した集団幻覚だったのかも知れません。

 

【ゆるい都市伝説】ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

ファティマの聖母は本当に出現し、太陽のダンスをはじめとする奇跡は本当に起きたのでしょうか?

 

宗教は内面的なものですから、起きたと信じる人にとっては確かに起きたのですし、信仰よりも科学的な解析を重視する人から見れば、それは客観的には起きていないと断じる事も出来るでしょう。

 

しかし、人間が際限ない欲望を捨て信仰に限らず、身を律して謙虚になり世界的に取り組まなければ人類の将来は暗いとする預言は決して外れてはいないと思います。ファティマの奇跡から得られる最大の教訓はそれではないでしょうか?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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