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どうして同族婚はいけないの?
良く間違われていることなのですが、この同姓婚がいけないというのは「血縁関係がある結婚」だからダメ、ということではないことです。あくまでも忌避しなければならないのは「父方が同姓」「同祖の同氏族である」こと。
因みに父方でも姓が違えば関係なく、同祖であっても氏族か違えばOK、。そして母方については全く言及されません。更に重要なこととして、これは儒教で禁止されている訳ではなく、古代中国からの習わしであったのです。
同姓婚と儒教思想
元々、同姓婚は習わしとして存在していました。決して儒教で禁止されていた訳ではありません。ここでポイントとなるのが「父方の同姓」「同祖、同氏族」で結婚しないということが、儒教の「始祖を敬うこと」「氏族を尊ぶ」という教えと結びつき、最終的に「同祖同族と婚姻関係にならない」ことが「儒教の教え」である、という風に、言い方を変えればごちゃ混ぜになっていったのですね。
しかしただの習わしが儒教思想と結びつけられた、そのことからこの時代に儒教の教えがとても重要であったことが分かると思います。
分かりにく~い!
それで話を統合すると、どうして劉備や趙雲が同姓婚を嫌がったのか?
長々と説明しましたがこれについては血統や血縁関係ではなく「同姓の人物の妻であった人を娶る」ことを忌避した、と言えば分かりやすいでしょうか。
この辺りが良く分かりにくく、「夫が同姓だからって何で奥さんがダメなのか」「奥さんは実家があるから同姓じゃないんじゃない?」「同姓ってことは血縁関係があるの?」といくつか疑問を感じている人が多いようなので、今回少しばかり調べてみました次第です。
同姓婚は決して現代である「血縁関係がある婚姻関係」とは違うということを覚えておいて下さいね。
穆皇后のその後
さて最後にちょっと穆皇后、呉氏について。劉備はこの婚姻を渋りますが、それを説得したのが法正。この時に法正は晋の文公の前例を引き合いに出して劉備を説得、呉氏と結婚させることに成功しました。文公はかつて秦に亡命していた際に、色々あって甥の妻であった女性と結婚しています。
とは言えこれには様々な事情があったためか、わざわざ「文公の時は色々理由があっただろ。引き合いに出すのはおかしい!」という批判が注釈されているのがちょっと面白いところですね。
三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと同姓婚について、お話をさせて頂きました。趙雲、劉備と話題には出てくるものの、何だか分かりにくいお話でもあります。しかしこういった小さなことにも浸透している儒教の教え、それがこの時代に如何に大切にされていたか……その片鱗を知ることができる場面でもありますので、こういう小さいことでも少しずつ解析していきたいですね。
参考文献:蜀書先主伝 趙雲伝 趙雲別伝
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