1800年も昔の三国志の時代、鉄砲も大砲もない大昔なので、兵器も貧弱なモノしかないと思いがちですが、意外や意外、三国志の時代にも見上げるような大型兵器が登場していました。
今回は、そんな三国志に登場する大型兵器を11種類紹介します。
この記事の目次
- 1ページ目
- タイプA:城壁を破壊する兵器
- 三国志に登場する大型兵器1: 霹靂車(へきれきしゃ)
- 三国志に登場する大型兵器2:衝車(しょうしゃ)
- 三国志に登場する大型兵器3:床弩(しょうど)
- タイプB:城壁を乗り越える巨大兵器
- 2ページ目
- 三国志に登場する大型兵器4:井蘭車(せいらんしゃ)
- 三国志に登場する大型兵器5:雲梯車(うんていしゃ)
- 三国志に登場する大型兵器6:木慢(もくまん)
- タイプC:外堀を埋める巨大兵器
- 三国志に登場する大型兵器7:填壕車(てんごうしゃ)
- 3ページ目
- 三国志に登場する大型兵器8:壕橋(ごうきょう)
- タイプD:城の様子を見る偵察兵器
- 三国志に登場する大型兵器9:巣車(そうしゃ)
- タイプE:敵を驚かせる巨大兵器
- 三国志に登場する大型兵器10:重戦車(じゅうせんしゃ)
- 三国志に登場する大型兵器11:虎戦車(こせんしゃ)
- 三国志ライターkawausoの独り言
タイプA:城壁を破壊する兵器
三国志の時代に限りませんが、攻撃側が最も大きなダメージを覚悟しないといけないのが攻城戦でした。
孫子の兵法にも「城を攻めるはもっとも下策」とあり、一番避けなければならないとされ、固い城壁の内側に籠城されると、それを攻め落とすのには、防御側の10倍の兵力が必要になる事もありました。
城を攻める側にしても、味方が次々と死んでいくと士気も落ちてしまうので、兵力を使わずに直接、城を破壊できる攻城兵器は、城を攻める側にとり非常に有益なのです。
三国志に登場する大型兵器1: 霹靂車
霹靂車(へきれきしゃ)は三国志演義以外では登場しない名前で、実際は投石機や発石車と言います。投石機は、紀元前5世紀の中国、春秋戦国時代にはすでに登場していたようです。
投石機の動力は錘を落とす時の力や、動物の腱などをゴムのように捩じって戻る時の復元力を利用したもので、力を溜めてから、ストッパーを外す事で物体を遠くまで飛ばす事が出来ます。飛ばすのは主に石、あるいは金属の玉、嫌がらせや伝染病の蔓延を狙い、人間や牛馬の死体を城内に放り込む事もありました。
三国志演義では有名な官渡の戦いで登場しています。西暦200年、袁紹が官渡城に立て籠もっている曹操軍に対し井蘭車で雨のように矢を射かけた際、曹操が対抗して霹靂車を組み上げ、投石により櫓を次々と破壊しました。
この櫓が破壊される音が落雷のような轟音なので霹靂(雷)車と名付けられました。
三国志に登場する大型兵器2:衝車
衝車(しょうしゃ)とは、丸太を横倒しにして先端を尖らせ車輪を付けて移動可能にした攻城兵器です。こちらは城壁というよりは、城門に何度も衝突させ門を打ち破る目的で造られました。
時代が下ると城兵の矢や投石などから、操縦する兵士を守るため三角の屋根が取り付けられたり、丸太の先端を金属で覆うなどして破壊力を強化したものが登場します。西洋の戦場で使われた攻城鎚も、同じようなフォルムをしています。
三国志に登場する大型兵器3:床弩
床弩(しょうど)は機械式の弓で、春秋戦国時代には存在していた巨大兵器です。形状は、小型の弩を大きくして台車に固定したもので城攻めに使用されました。床弩は機械仕掛けの複雑な構造で、操縦には7名もの人手が必要。
それでも、宋の時代の三弓床弩の飛距離は1.5キロもあり長さ2mの矢を飛ばしたそうです。これだけ破壊力があれば、三国志の時代の砂を固めてできた城壁にも、しっかり突き刺さった事でしょうし、人間にあたれば数人は串刺しに出来、十分城壁破壊兵器と呼べます。
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タイプB:城壁を乗り越える巨大兵器
城壁を破壊できなくても、城壁を乗り越えたり城壁の外側から敵にダメージを与える事が出来れば攻撃側には有利になります。三国志の時代には、このような城壁を乗り越えたり、城壁の外側から敵を攻撃できるような巨大兵器も登場しました。
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