なんで将軍は1人じゃないの?【新解釈・三國志の疑問】


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なぜ将軍は一人じゃないの?(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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将軍が率いることができる軍勢

行軍する兵士達a(モブ)

 

では、将軍が率いることが出来る兵力はどのようになっているのでしょうか?

 

時代や王朝によって、率いる兵力は違いがあるのですが、概ね将と呼ばれる指揮官が率いる兵力は12500で「軍」と称されていました。将が率いる軍だから将軍という事です。

 

文醜

 

そして、700名から数千人を率いるのが、部校尉(ぶこうい)軍司馬(ぐんしば)仮司馬(かりしば)という将軍以下の地位で、それは部と呼ばれます。部を率いる将だから部将(ぶしょう)です。

 

あとは、1000名以下を率いる軍侯(ぐんこう)軍仮候(ぐんかこう)部曲督(ぶきょくとく)部曲(ぶきょく)がいてこれを(きょく)と言い、500名以下を率いるのが屯長(とんちょう)で、これを屯、あるいは(りょ)と言います。近代軍の編成における「旅団(りょだん)」という名称はここから来ています。

 

傷だらけでも勇敢に戦う楽進

 

ここから下は、100名~500名以下を率いる閭長(りょちょう)伯長(はくちょう)。50名~100名以下を率いる属長(ぞくちょう)、25名~50名を率いる隊長。10人を率いる什長(じゅうちょう)、5人を率いる伍長(ごちょう)が存在します。

 

一応下位の将軍でも、最大で12500人を率いることが出来るのですが、三国志の時代も後半に入ると将軍号を持つ人が増えすぎて、(へん)将軍や()将軍などでは大抵「部」の指揮官にしかなれませんでした。それだと将軍というよりも部将というカテゴリに入る事になりますね。

 

三国志ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

どうして三国志には将軍は1人じゃないのか?その答えは、将軍にランクが存在し1人じゃないからです。元々将軍は臨時設置で、数も多くなかったのですが、戦乱の三国時代で常設となり、将軍の地位にも上下をつける必要性が出てきて、数が増えたのです。

 

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三国志主要戦図一覧

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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