三国志、本当は二国志だった?陳寿最大のタブーに迫る

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陳寿のタブー(1P目)




陳寿のお陰で呉書は残った

洛陽城

 

韋昭の呉書は55巻とされていますが、現在では散逸して存在しません。つまり、現代の私達は陳寿の三国志を通して韋昭の呉書を見ている事になります。

 

三国志演義_書類

 

もし、陳寿が呉書を丸パクしないで、さっさと二国志として献上していれば、呉の記録はその後の戦乱でバラバラになって消え、三国志演義における呉の活躍は寂しいものになったでしょう。打算によって呉書を追加したっぽい陳寿ですが、結果として孫呉の記録を残し、三国志演義に繋がる重要な基礎を残したと言えるのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

いかがでしたか?

 

元々は、二国志で終わらせようと考えていた陳寿が韋昭の呉書に出会って方向転換。

 

kawauso編集長

 

必死に引き写して、二国志を三国志にしたお陰で、三国志は三国志演義として脚色され、三すくみが成立した珍しい時代として、持てはやされるようになったとしたら、歴史とはなんと面白く神秘的な偶然に満ちているものでしょうね。

 

参考文献:正史三国志

 

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【義に生きた武人・関羽】
関羽

 




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