三国志、本当は二国志だった?陳寿最大のタブーに迫る

2021年4月5日


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陳寿のタブー(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陳寿のお陰で呉書は残った

洛陽城

 

韋昭の呉書は55巻とされていますが、現在では散逸(さんいつ)して存在しません。つまり、現代の私達は陳寿の三国志を通して韋昭の呉書を見ている事になります。

 

三国志演義_書類

 

もし、陳寿が呉書を丸パクしないで、さっさと二国志として献上していれば、呉の記録はその後の戦乱でバラバラになって消え、三国志演義における呉の活躍は寂しいものになったでしょう。打算によって呉書を追加したっぽい陳寿ですが、結果として孫呉の記録を残し、三国志演義に繋がる重要な基礎を築いたと言えるのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

いかがでしたか?

 

元々は、二国志で終わらせようと考えていた陳寿が韋昭の呉書に出会って方向転換。

 

kawauso編集長

 

必死に引き写して、二国志を三国志にしたお陰で、三国志は三国志演義として脚色され、三すくみが成立した珍しい時代として、持てはやされるようになったとしたら、歴史とはなんと面白く神秘的な偶然に満ちているものでしょうね。

 

参考文献:正史三国志

 

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関羽

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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