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今週もお疲れ様。北部尉の役所を曹操が最晩年に修理

2021年7月23日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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ご視聴ありがとう01 曹操

 

はじめての三国志TVをご覧の皆様、今週も1週間お疲れさまでした。今回のお疲れキャラは曹操です。

 

怒る曹操

 

曹操は若い頃に北部尉を務めて、仲常侍の叔父である事を鼻に掛けて夜中に通行しようとした男を法律に違反したとして五色棒で叩き殺した武勇伝があります。この北部尉の役所を曹操が最晩年に修理して広くしたという記録が曹瞞伝にあります。

 

赤鎧を身に着けた曹操

 

劉備との陽平関争奪に敗れて洛陽に帰還した時の事ですが、もしかして曹操は洛陽の北門を通過して帰還したのでしょうか。その時、みすぼらしくなっていた役所を懐かしさと共に思い出し、修理させたのかも知れませんね。

 

曹操孟徳

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-おつかれさま