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【三国志雑学】顔に傷をつける忠誠

2021年7月25日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孔子と儒教

 

漢族というのは儒教の影響で自分の身体に傷をつけるのを親不孝として嫌う。

 

でも、異民族ではそうではないようだ。曹操の配下に倉慈という人物がいて大和年間(227年~233年)に敦煌太守になった。後漢が衰えて敦煌太守は20年間空位だったのですでに官僚制は形骸化し、役職は有力豪族の持ち回りになっていた。

 

三国志 兵糧攻め 村人

 

また、貧富の差も激しかった。倉慈は豪族の押さえつけと貧民救済、さらに土地の再配分を実施して多くの貧農を救った。色々の功績があり、倉慈は漢族、非漢族の双方に慕われ、数年後に現職のまま死ぬと漢族は遺影を描いて崇め非漢族は刃物で自分の顔に傷をつけ、血の忠誠の証としたそうです。敦煌あたりの異民族は忠誠の証に顔に傷をつけるんだね。

 

魏のマイナー武将列伝

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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