【郭嘉】智謀を備え、曹操の理解者だった天才軍師・郭嘉の生涯

2021年7月26日


 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

曹操(そうそう)に仕えた軍師と言えば皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか?

 

曹操に重宝される賈ク

 

優れた人材を好む曹操の下には綺羅星のごとく名軍師たちが集っていました。曹操を支えた智謀の士としては、荀彧(じゅんいく)荀攸(じゅんゆう)程昱(ていいく賈ク(かくが特に有名です。

 

郭嘉

 

しかし、今回は有名な彼らに比べて影が薄いイメージがある、郭嘉(かくか)に注目してみていきたいと思います。なお、今回の記事は正史三国志をベースに見ていきたいと思っております。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操への仕官

郭嘉

 

郭嘉は元々、豫州潁川郡(よしゅうえいせいぐん)の生まれであったと言われています。これは、曹操の第一の腹心と言っても良い荀彧と同郷です。

 

郭嘉を曹操に推薦する荀彧

 

この二人は荀彧の方が年上で、郭嘉はいわば荀彧の後輩と言っても良い存在だったのですね。若き日の曹操に仕えた荀彧は、まず同じ潁川郡出身者として戯志才(ぎしさい)なる人物を推挙します。彼は策略に長けた人物らしく、曹操は戯志才を重用しますが、戯志才は早くに亡くなります。

 

郭嘉を推薦する荀彧

 

そこで荀彧が次に推挙したのが地元の後輩であった郭嘉でした。こうして、郭嘉は曹操の部下となったのです。

 

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荀彧特集

 



曹操の軍師として

呂布にとどめを刺すよう曹操に献策する郭嘉

 

曹操に仕えた郭嘉は、軍師として曹操の戦いを支えていきます。呂布(りょふ)との戦いでは、下邳(かひ)に立て籠もった呂布を攻めるべく荀攸と共に水攻めを提案し、呂布を倒すことに貢献しています。

 

早めに劉備を暗殺しようと曹操に献策する郭嘉

 

また、呂布に追われた劉備(りゅうび)が曹操の下に逃げ込んだ時、程昱(ていいく)は劉備を将来の脅威になると考え、劉備を殺すことを曹操に進言しましたが、郭嘉は劉備を殺すことで曹操に対する世間の評判が下がるとして、劉備の暗殺に反対しています。

 

郭嘉

 

一方、郭嘉は劉備の実力を高く評価しており、呂布を倒した後に曹操が劉備を徐州(じょしゅう)に戻そうことに対しては反対しています。結局、曹操は劉備を徐州に派遣しましたが、郭嘉の予想通り劉備は徐州で自立し、曹操は河北の袁紹(えんしょう)と徐州の劉備に挟撃される不利な情勢となってしまいました。

 

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呂布

 

郭嘉の孫策評

呉の勢力を率いる孫策

 

曹操が官渡(かんと)の戦いで袁紹と戦っていた時、江南の小覇孫策(そんさく)が大軍で曹操の本拠地・許都を襲うという噂が飛び交ったことがありました。

 

孫策が早死すると予見する郭嘉

 

しかし、郭嘉は事態を冷静に分析し、「孫策は新たに江東を平定したばかりですが、孫策に粛清されたのは英雄豪傑で、彼らのためなら死ねるという者がいるような士でありました。

 

結婚を喜ぶ孫策

 

しかし孫策は軽率で備えも無く、百万の兵があろうとも中原を独りで歩いているのと異なりません。もし刺客が伏せていたなら、ただ一人を敵とするだけであります。従って私が思うに、必ずや匹夫の手で死ぬことでしょう」と評しました。

 

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

果たして、孫策は長江を渡ることなく、かつて粛清した許貢(きょこう)の部下に襲われ、その際の傷がもとで急死しています。このように、郭嘉は軍略のみならず人物を見抜くことにも長けていた稀有な天才だともいえるでしょう。

 

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太史慈

 

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大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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