後漢の光武帝には秘蔵の美人画コレクションがあったそうですが、今でいうウホホ本も古代中国にはありました。
前漢の劉向が書いた「列女伝」孽嬖(げつへい)伝には、悪名高い、殷の紂王が画家に命じて男女のウヒョ図を描かせた事が記されています。
さすがは紂王、酒池肉林、ドスケベですな!と言いたいところですが、実際には中国のウホホ本は房中術の流れを汲むもので、健全にウヒョを楽しみ健康を増進する目的で描かれていました。ウホホメインではなく健康メインなんですね。まあ、健康じゃないとウヒョは出来ませんので、間違ってはいないです。
そうだとすると、三国志の時代にもあくまで房中術のくくりでウホホ本があったかも知れません。なんとなく大義名分のような気もしますけど…その後、明の時代には春宮画と呼ばれる房中術のための解説図が登場。日本に輸入されて大流行し、やがて模倣されるようになり春宮画が短縮され春画になったようです。
■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■