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晋が屯田を廃止した背景
魏の屯田制は、883万人という莫大な人口を背景にしたもので、そこは当然利権の巣でした。また、曹操は民屯を国家に属したものにはせず、典農中郎将を置いて徴税や民政を任せています。
例えば司馬懿は、高平陵の変で曹爽を葬り政治の実権を握ると典農中郎将の人事ポストを握り、自分に味方する豪族に屯田民を使役する利権を分けました。これこそが司馬一族が富を握って、後々、魏王朝を倒してしまう原動力になったのです。
だからこそ司馬炎は、自身が帝位に就くと、第二の司馬氏の台頭を招かない為に、屯田を廃止し豪族が屯田民を使役して富を得る事を阻止したのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
以上、魏の屯田制、民屯について解説してみました。屯田制というワード自体は三国志でもよく耳にしますが、その人口が自作農の倍も存在し、魏の富の源泉になっていた事は知らない人も多いのではないでしょうか?
金の成る木や打ち出の小槌がない以上、富は、どこかで誰かが生産しているという事実が民屯の実情を知ると見えてきますね。
参考文献:正史三国志
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