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どのように兵力を確保したのか?
どの国も当然兵力に限りがあり、また当時は戦乱の時代でしたから、常に兵士の補充が必要でした。どのように兵力を確保したのでしょうか。代表的な方法に「屯田」があります。これは平時には農耕をさせ、戦時に兵士として戦わせるものです。これによって兵士は生活が安定し、食料確保と兵力の確保を同時に行う事が出来ました。
また、周辺の異民族を討伐し、彼らを兵士として採用することもありました。代表的なところでは、呉では異民族「山越」を度々討伐し、彼らを兵力に組み込みました。また、強引な方法として他国から人を拉致することもあり、姜維なども北伐の際に住民を拉致して自国に住まわせています。
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三国志ライターみうらの独り言
当時の戦争はいかに多くの人が動いたかがわかりますね。平気で10万人の人が殺し合うなど恐ろしいことです。戦いは武将の気持ちを高揚させますが、一般市民にとってはいい迷惑だったかもしれませんね。
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