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三国志演義は過剰?三国志での実際の兵力はどのくらいの人数だったのか?

2021年12月1日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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どのように兵力を確保したのか?

進軍する兵士a(モブ用)

 

どの国も当然兵力に限りがあり、また当時は戦乱の時代でしたから、常に兵士の補充が必要でした。どのように兵力を確保したのでしょうか。代表的な方法に「屯田(とんでん)」があります。これは平時には農耕をさせ、戦時に兵士として戦わせるものです。これによって兵士は生活が安定し、食料確保と兵力の確保を同時に行う事が出来ました。

 

山越族(異民族)

 

また、周辺の異民族を討伐し、彼らを兵士として採用することもありました。代表的なところでは、呉では異民族「山越(さんえつ)」を度々討伐し、彼らを兵力に組み込みました。また、強引な方法として他国から人を拉致することもあり、姜維(きょうい)なども北伐の際に住民を拉致して自国に住まわせています。

 

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三国志と異民族

 

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

当時の戦争はいかに多くの人が動いたかがわかりますね。平気で10万人の人が殺し合うなど恐ろしいことです。戦いは武将の気持ちを高揚させますが、一般市民にとってはいい迷惑だったかもしれませんね。

 

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ながら三国志

 

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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