慶舎はどんな人?沈黙の狩人は史実でも沈黙していた趙の将軍だった?

2021年12月2日


 

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テレビを視聴するkawauso編集長 ver.2

 

慶舎(けいしゃ)は春秋戦国時代末期の趙の将軍です。キングダムのビジュアルが強烈なので架空の人物っぽいですが実在していました。しかし史記におけるその活躍の記録は僅かに二行しかなく、ほぼ沈黙状態です。

 

今回は史実でも沈黙していた慶舎について解説しましょう。

 

 

 

慶舎実在を伝える二行

魏晋世語(書類)

 

では、最初に慶舎について記された史記、趙世家(ちょうせいか)の記述を紹介します。

孝成王10年(紀元前256年)楽乗(がくじょう)と共に秦の信梁軍(しんりょうぐん)を破る。

悼襄王(とうじょうおう)5年(紀元前240年)東陽と河外(かがい)の地の兵を率いて黄河の(りょう)を守った。

 

はい、簡単ですね、たったの二行です。では、ここからは、この二行の内容について解説してみます。

 

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邯鄲を包囲していた王齕を破る

 

紀元前256年、慶舎は楽乗と共に秦の信梁軍を破ったとあります。しかし、この信梁なる人物は秦の記録には登場しません。一説では、信梁とは将軍王齕(おうこつ)の号だそうですが別人であるかも知れません。

 

紀元前257年は秦の将軍王齕が邯鄲(かんたん)を包囲して落とせずに退却していますが、もしかすると、翌年の紀元前256年にも王齕は攻め寄せてきて、それを撃退したのが楽乗と慶舎なのかも知れません。

 

だとすれば、こちらから攻めたわけではありませんが、なかなかメジャーな活躍をしています。

 

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キングダムネタバレ考察

 

 

慶舎は摎と戦ったかも知れない

行軍する兵士達b(モブ)

 

紀元前256年には、キングダムでは美貌の女将軍(おんなしょうぐん)として登場している楊摎(ようきゅう)も出陣しています。

 

楊摎は韓を攻撃し陽城と負黍を陥落させて首級4万を挙げ、さらに趙を攻撃して二十県余りを奪い斬首した者および捕虜は9万に達しました。時期的に秦の信梁軍とは楊摎の事を意味しているかも知れません。

 

 

さらにこの時、滅亡寸前の西周(せいしゅう)文公(ぶんこう)は諸侯の軍を集め、洛陽に近い伊闕(いけつ)を出て秦を攻撃。陽城との連絡路を遮断しようとしました。この時、楊摎が昭襄王の命を受け取って返して西周を攻撃しこれを降伏させます。西周は僅かな領土と人民を秦に献上して支配下に入り事実上滅亡を迎えました。

 

炎上する城a(モブ)

 

話をまとめると、楊摎は楽乗や慶舎と交戦中に背後の伊闕で西周と諸侯が蜂起する事件に出くわしたので退却してこれを討伐し、それが趙の勝利としてカウントされたかも知れません。ちなみに史実の(きょう)はバリバリの男性だと思います。多分

 

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秦の逆襲を食い止めるグッジョブ

函谷関

 

次の紀元前240年の出来事は重要です。慶舎は東陽と河外の地の兵を率いて黄河の梁を守ったという一文だけですが、当時、秦と趙の国境は黄河でした。

 

荒れる黄河

 

梁というのは橋の事ですが、戦国の世の事ですから立派な橋が架かっているわけもなく、当時は黄河でも水深が浅い所を兵士が渡って移動しています。慶舎の任務は、秦兵が黄河の浅瀬から趙に侵入してこないように東陽と河外から兵を率いて見張るという事でした。

 

藤甲軍(南蛮兵士)

 

孫子の兵法にも「敵兵が河を半分渡ったところで攻撃せよ」とあるように、渡河は軍隊が移動する弱点ですので、慶舎にしっかりと梁を守られると秦軍は侵攻を断念する外はありません。

 

前年の紀元前241年は、キングダムでも描かれた五カ国合従軍が秦の函谷関を攻め落せずに退却した年であり、慶舎は秦が逆襲に転じるのを阻止する名目で黄河の梁を守っていたとも考える事が出来ます。

 

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史実の慶舎も沈黙の狩人だった

 

慶舎の最後については何の記録もありません。しかし、紀元前256年から紀元前240年までには16年ありますから、それなりに長い期間活躍していた将軍という事になります。

 

この空白の16年は、趙は秦に攻められたり、燕に攻められて逆襲に転じたりと色々忙しいのですが、その間に慶舎が活躍した様子がないという事は、これはキングダムの慶舎のように蜘蛛の巣のように罠を張り巡らし、敵が攻めてきた時だけ発動する沈黙の狩人だったのかも知れません。

 

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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

キングダムの慶舎に比べると史実の慶舎はかなり地味な存在です。

 

たった二行しか記述がなく、大きな戦争には無縁ではありますが、しかし、慶舎がいなければ、秦軍は黄河を渡って趙に入り込んで合従軍の恨みを晴らしたかも知れず、さらに多くの人命が損なわれた可能性もあります。

 

この点を考えると、慶舎は沈黙していながらとても良い仕事をしていたと言えるでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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