関羽はどのようにして曹操の元から離れたの?

2021年11月30日


 

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桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

関羽(かんう)劉備(りゅうび)と義兄弟の誓いを交わし、深い絆で結ばれていましたが、一時離ればなれになってしまいます。

 

関羽が大好きすぎる曹操

 

その際、関羽の才能を高く評価していた曹操(そうそう)は彼を家臣にすることに成功するのですが、やはり関羽の心は劉備の下にあり。曹操と関羽にも別れの時がやってきます。今回の記事では関羽が曹操に一時仕えることになった経緯と、その別れについて書いていきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備と関羽の深い絆とは?

暴れまわる黄巾賊

 

関羽と劉備の出会いは「黄巾(こうきん)の乱」でした。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

義勇兵を挙げた劉備の下に関羽、そして張飛(ちょうひ)が集い、三人は「義兄弟」の誓いをしたといいます。その後関羽は劉備と共に各地を転戦し、呂布(りょふ)との戦いの際には曹操に高く評価され、官職を授かっています。

 

献帝を保護する曹操

 

しかし、その後曹操は後漢の皇帝献帝(けんてい)」を奉じ、思うが儘にふるまうようになります。劉備らはそれに反発し、曹操と対立しますが、攻撃を受けた劉備は袁紹(えんしょう)の下に身を寄せます。その際、劉備と関羽は離ればなれになってしまい、やむを得ず関羽は残された劉備の妻子とともに曹操に降伏することになるのです。

 

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黄巾賊

 

 

 

関羽、曹操に降伏するも主を忘れず

関羽が大好きすぎる曹操 ver2

 

小説などでは関羽は曹操に降伏する際に3つの条件を出したといいます。

 

  • 降伏するのは曹操ではなく、「後漢」であること。
  • 劉備の妻子の命を保証する。
  • 劉備が生きているとわかった際には劉備の下に帰る。

 

曹操から赤兎馬をプレゼントされる関羽

 

曹操はこれを受け入れ、関羽を将軍職に任ずるなど厚く礼遇します。その後、曹操は袁紹と「官渡(かんと)の戦い」で雌雄を決することになり、関羽も出陣します。

 

顔良と関羽

 

この時関羽は袁紹軍の武将「顔良(がんりょう)」を斬るなど大いに活躍します。そして劉備の消息も知ることになります。関羽は常々曹操への恩返しが済み、劉備の消息が知れたらそのもとに帰ろうと考えており、それを曹操も察していました。

 

顔良を討ち取る関羽

 

「官渡の戦い」での関羽の活躍を見た曹操は関羽が去ると考え、彼に多くの贈り物をしました。しかし、関羽はそれに手を付けず返し、曹操に手紙をささげて劉備の下に帰るのでした。曹操はその関羽の「義」に感動し、部下に「関羽を追ってはならない」と言ったといいます。

 

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官渡の戦い特集

 

 

曹操、関羽を惜しむ「避客牌」(ひかくはい)

曹操の元から離れる関羽

 

小説「三国志演義」などでは関羽と曹操の別れは感動的にアレンジされています。関羽は劉備の所に帰ろうとする際、曹操に別れの挨拶をしようと思い、彼を訪ねました。

 

しかし、曹操は「避客牌(ひかくはい)」を門に下げていました。この「避客牌」は屋敷の主がすべての客を断りたいときに掲げておくものであり、客も避客牌が掲げてあった時は帰るのが礼儀、とされていました。

 

関羽はやむを得ず、その日は引き返し、その後毎日尋ねますが、またしても避客牌が下げられています。その為関羽は曹操からの贈り物を曹操に返し、置手紙をして劉備のもとに帰ることにしたのでした。

 

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曹操孟徳

 

 

「覇陵橋」での別れ

関羽の降伏を説得しにいく張遼

 

曹操の下を去った関羽は「覇陵橋(はりょうきょう)」という場所に差し掛かります。関羽がふと後ろを振り返ると曹操と「張遼(ちょうりょう)」(関羽と親しい)が見送っていたのです。

 

曹操は馬を下り、橋の中ほどまで進み、関羽の前にひざまずき「錦の抱」(錦で作った上着、高級品)を掲げます。関羽はそれを矛で受け取り、曹操の前から「おさらば」と言い残し、劉備の下に向かうのです。曹操はその関羽の後ろ姿をほれぼれと見送っていた、といいます。ちなみに現在「覇陵橋」は許昌(きょしょう)の市街地からやや郊外に行った場所に再建されており、観光名所となっています。

 

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張遼

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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