三国志演義は過剰?三国志での実際の兵力はどのくらいの人数だったのか?




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

三国志演義_書類

 

小説「三国志演義」を読んでいると、戦いの場面はとても興奮しますが、よく見てみると書かれている兵力がとにかく多いです。

 

赤壁の戦い

 

例えば「赤壁(せきへき)の戦い」では曹操(そうそう)軍は100万人の兵力を動員した、と書かれています。実際にこの大量の兵士を動員するのは可能だったのでしょうか?

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

正史「三国志」の記述を見ながら、実際はどのくらいの人数だったのか、今回の記事では探ってみます。

 




「三国志」時代の中国の人口は?

行軍する兵士達a(モブ)

 

中国では古代の時代から税徴収などのために「戸籍制度」が整備されてきました。その戸籍によると後漢時代の西暦140年ころには約5000万人の人口がいました。

 

正史三国志_書類

 

しかしこれが「三国志」の時代(西暦260年から280年くらいのデータ)になると、

魏が約440万人

呉が約230万人

蜀が約94万人

合計約760万人と急減しています。

 

いくら戦乱があったとはいえ減りすぎなので、流人になった、私兵がいる、など恐らく戸籍に載らない人が多数いたと考えられます。

 

関連記事:「後漢の州人口」から読み解く群雄の力!曹操が袁紹の本拠地を欲しがった理由も分かる!

関連記事:魏の五都の人口は?魏は斉になっていた?斉・呉・蜀の三国志

 

【熱き戦いの記憶をコンパクト化】
三国志主要戦図一覧

 




 

人口に対してどのくらい兵士として動員できるのか?

行軍する兵士達b(モブ)

 

兵力は人口に対してどのくらい動員できるものなのでしょうか。

 

鶴見中尉のモデルとなった須見新一郎(日本兵士)

 

例えば日清戦争で旧日本軍は人口の5%程度を兵力として動員したそうです。第一次大戦ではフランスが10%以上の動員を行いましたが、国が不安定になったそうです。

 

村人(農民)

 

時代が変わっても国の安定の為、動員には限界がありますから、恐らく三国志の時代でも人口の5%から10%くらいが動員の限界なのではないでしょうか。これを踏まえて正史「三国志」と小説「三国志演義」の兵士数を見てみましょう。

 

関連記事:【三国志時代の人口算出】駱統の行政手腕

関連記事:曹操の同化推進政策がマイノリティ人口問題を引き起こした!?

 

【樊城をめぐる劉備・曹操・孫権の軍事衝突】
樊城の戦い特集

 

 

「官渡の戦い」での兵力比較

袁紹に追い詰められる曹操

 

官渡(かんと)の戦い」は曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)が、中国北部の覇権をかけて激突した「三国志」序盤の名場面です。この戦いにおいて「三国志演義」では袁紹軍は70万以上の大軍を、曹操軍は10万人の兵力を動員したことになっています。これは同時の人口を考えると明らかに過剰で、演義の演出過多でしょう。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

正史「三国志」では袁紹軍10万、曹操軍1〜2万となっており、これが妥当な数字かと思います。いずれにせよ袁紹軍は曹操軍の10倍近くの大軍であり、袁紹を破った曹操の力量は只者ではないことが感じさせますね。

 

関連記事:春秋戦国時代に中国では百万の兵力が動員できたのになぜ日本の戦国は十数万なの?

関連記事:蜀と呉が兵力差以上に魏に勝てない本当の理由

 

【三国志の時代の流れを決定付けた重要な戦い】
官渡の戦い特集

 

 

膨大な兵力が動いた「赤壁の戦い」

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

「赤壁の戦い」は天下統一を目指す曹操を、孫権(そんけん)劉備(りゅうび)の連合軍が破った天下分け目の大合戦です。小説「三国志演義」でもこの戦いを大いに盛り上げ、なんと曹操軍は100万の大軍で攻め寄せたことになっています。

 

庶民、村人の家

 

これは先述の魏の人口からみてみると40%以上の動員になってしまい、何とも国元が不安です。正史「三国志」では曹操軍は15万から20万となっており、動員兵力は約3%から4%で、おおむね妥当だと考えられます。一方孫権軍は「演義」では明確な数字が示されていませんが10万人くらい、正史では2~3万人くらいの兵力で戦いに臨んだそうです。

 

進軍する兵士c(モブ用)

 

連合軍の劉備軍は正史では1万人くらいの兵力でしたが、当時劉備は客将のような身分だったため、身を寄せていた「劉琦(りゅうき)」の荊州(けいしゅう)兵力が大きかったと考えられます。

 

関連記事:赤壁の戦いの時の兵力って曹操軍と連合軍でどれぐらい差があったの?

関連記事:【八陣図】三国志の戦術マニア必見!少ない兵力を多く見せる必殺疎陣とは何?

 

赤壁の戦いを斬る!赤壁の戦いの真実
赤壁の戦い

 

諸葛亮最終決戦!「五丈原の戦い」

司馬懿と諸葛亮孔明のトランプ勝負

 

五丈原(ごじょうげん)の戦い」は諸葛亮(しょかつりょう)が魏の司馬懿(しばい)との最後の戦いです。「三国志演義」では蜀の兵力はわかりませんが、かなりの大軍で決戦に臨みました。

 

同年小録(書物・書類)

 

「晋書」の「宣帝(司馬懿)紀」によると蜀軍は10万人だそうで、これは蜀の人口の約10%になり、まさにこれはほぼ国の全精力を上げた決戦だったことがうかがわれますね。一方魏軍はその倍程度の兵力だったと考えられ、当時の魏の人口から考えると相当の余裕があるようです。

 

関連記事:三国志の兵力は実際にどこまで本当なの?魏呉蜀の兵力の真実に迫る!

関連記事:裴潜(はいせん)とはどんな人?兵力を用いることなく北方異民族をてなずけた魏の文官

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>
  • コメント: 0

関連記事

  1. 孫権に攻められ戦死する黄祖
  2. 孫堅と董卓
  3. 朝まで三国志 kawausoと曹操
  4. 悩む司馬炎
  5. 魏延と孔明
  6. 徐庶

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP