夏侯覇の亡命理由:人事への不満
夏侯覇の兄や弟たちは魏に残り、その後も晋になっても夏侯家の名は見ることができます。兄である夏侯衝は曹操の姪っ子と結婚し、父親の爵位を継ぐことができました。
しかし夏侯覇はよりにもよって上司にあの郭淮、不満が溜まらない訳はありません。ですが魏の国は大きい、人も多い、この国で何かを成し遂げるには相応以上の才能がいる。
「そうだ、蜀に行こう」……と、なったんじゃないかな?
個人的な見解ですが姜維が蜀で何かをなそうとしたように考えて、同じように夏侯覇は亡命したというのがしっくり来る気がしたのですが、この考え、どうでしょうか。
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李典「ん?」
余談ですが、夏侯覇の亡命理由に「司馬家が曹家を良いようにしている」というのは嫌いではありません。これは見方を変えれば「主君である曹家を蔑ろにしている司馬家許せない!父親の仇だけど蜀に行って戦ってやる!」ともできて、国の窮地に自分の心情を一端他所に置いておける感じがしてグッときますよね。まぁ、これは合肥の戦いのエピソードからふと思いついたのですが……そんな夏侯覇も良いですよねってことで一つ。
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三国志ライター センのひとりごと
歴史は後から見ることができるため、どうしても結果に沿うように考えがちです。だからこそ、結果をとりあえず置いておいて考えてみる、というのは新しい見方を生み、仮説を思いつきます。
夏侯覇の亡命の理由は様々な要因が重なり、絡み合い、複雑化したものであり、決して突発的ではなかったと思われます。
父である夏侯淵の死、従姪の毒殺、人事面での不満、更に高平陵の変などなど…………このどれもが理由であり、このどれもが理由でもないかもしれません。どうぞ皆さんも夏侯覇の亡命の理由、考察して見て下さいね。
どぼん!
参考文献:魏書夏侯淵伝 張コウ伝 郭淮伝 魏略
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