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その後の蜀漢
費禕亡き後の蜀は全てを取り仕切れるようなリーダーはおらず、軍事面は姜維が担当しましたが、彼は連年の北伐で国を衰退させます。また、宮廷では宦官が権力をもち、内政も混乱、そんな時に魏が襲来し、蜀は滅亡します。それは費禕が死んでからわずか10年後の事でした。
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三国志ライターみうらの独り言
蜀では「丞相」は諸葛亮たった一人でした。おそらく彼に変わる人材がいなかったのでしょう。跡を継いだ二人もがんばりましたが、国力の差は大きかったようです。
「蜀が勝てる可能性があったのか?」考えると難しいですね。
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