八方美人は嫌われますが、政治の世界は八方美人じゃないとやっていけません。三国志演義の影響で優柔不断のイメージをもたれがちな劉表ですが、実際には優柔不断というより八方美人です。
正史によれば長安の李傕と郭汜は劉表と組もうとして鎮南将軍・荊州牧とし成武侯に封じ節を仮します。
次に献帝が長安を脱出して曹操の庇護を受けて許に入ると献帝に貢物を出し返す刀で袁紹と同盟を結びました。
治中の鄧羲が「節操が無さ過ぎやしませんか」と諫めると劉表は「内では朝廷に貢物をして敬意を表し、外では反董卓連合軍の盟主にも叛かないこれが天下の義に通じているという事だ。治中は1人で何を怪しむのか?」と言ってのけました。鄧羲は病気と称して辞職し、そのまま死去します。清廉な儒教官僚ですね。しかし、乱世においては劉表のように敵を作らないのが正解です。
友達は多く作っておき、都合が悪くなれば切り捨てる方が、追い詰められて慌てて仲間を増やそうとするより何倍も簡単なのです。
日本の平清盛だってできるだけ各勢力に良い顔をして良好な関係を築き「平家にあらずんば人にあらず」の栄華を極めたのです。劉表はなかなかの策士であると言えるでしょう。
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