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年齢より若い少容な張魯の母
文字だけを見ると「容姿が少ない……?」とか思ってしまいますが、こちらの漢字には別の意味が有ります。主に「少ない」という使い方をされる「少」ですが「少女」などの文字からも分かるように、年齢について、もっというと若いという意味にも使われるのです。
つまり張魯の母親はわざわざ歴史書に「容貌が若かった」と記録されているんです!
余程若々しくないとこんなことは書かれないでしょう。
つまり張魯の母親は美魔女だったのです!(どぼーん!)
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張魯母の実年齢は不明
……まあ、これは筆者の妄想を過分に含む考えではあるのですが。実際には張魯の母親の年齢なんて記録されていませんし、判断材料はありません。少し言うならば張魯の父親が177年に死去、張魯が五斗米道の後継者に。その後、216年に死去となっています。
劉焉が益州に来たのは馬相の乱の188年よりも後、亡くなる194年よりも前。190年に張魯の母親が劉焉に取り入ったと仮定。張魯が教祖となった時20歳と仮定して、母親は+16歳として177年に36歳。とすると49歳でアラフィフくらいでしょうか。
仮定ばかりで申し訳ありませんが、この年で「若く見える」と言われるなら十分に美魔女でしょう。なので筆者はぜひこの張魯の母親美魔女説を推したいのですが……いかがでしょうか!?
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三国志ライター センのひとりごと
まあめちゃくちゃ若い年齢で考えるとアラサーくらいになるのですが、それだとしても「見た目が若い」と書かれるので、大人の女性の年齢に反して幼女な見た目だった張魯の母親の母親説となり、それはそれで面白いので良いと思います(?)。
しかし美人だった、賢い女性だったという記録は良く見かけますが、見た目が若かった、というのは中々見ない記録ですね。このお母さん、どうやら有名な巫女さんだったようなのですが、面白いキャラクターだと思います。ぜひともどこかで彼女を何かの主人公として扱った作品などを見てみたいのですが……無理かな?
もし見かけたらご一報ください、お待ちしています。
どぼん。
参考文献:蜀書劉二牧伝
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