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張魯の母親は美魔女?若々しさを維持し劉焉を虜にした五斗米道の功労者

2022年5月23日


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新解釈・三國志 貂蝉が挑発的に踊る

 

三国志(さんごくし)にも美人は良く出てきます。派生先の三国志演義(さんごくしえんぎ)ともなれば中国四大美女の一人である貂蝉(ちょうせん)も出てきますね。やはり歴史の陰には女アリ、ということでしょうか。はたまたどんなリアリストで冷徹な政治家たちも、美女がお好きということなんでしょうか?

 

今回はそんな美女の一人……かどうかは分かりませんが、ある種、現代に通じる評価をされた女性をご紹介したいと思います。それこそが張魯(ちょうろ)の母親、さあ、彼女はどんな人だったのでしょう?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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美魔女とは見た目より若い女性

 

さて皆様にちょっとお尋ねしたいことがございます。皆様は「美魔女」をご存知でしょうか?

 

だいぶ前に生まれた言葉で、一時期はこの美魔女と呼ばれる女性たちがブームにもなりましたね。これはとあるファッション雑誌が生み出した言葉で、言葉の意味としては「年齢という言葉が関係なくなるほど輝く容姿を持った女性」への言葉であり、それは逆転すると、年齢を重ねても美しくあろうとする心の大切さを意識して欲しい……というような感じで生まれた単語です。

 

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年齢不詳な女性も美魔女カテゴリ

 

とは言え、この言葉はどちらかというと別の意味で使われるようになりました。そう、魔女という言葉のイメージが先走ってしまったからでしょうか?

 

「年齢が良く分からない女性」

 

もっと言うと「実際にはかなりの高齢の女性のはずなのに大変若々しく美しい女性」を表すときの言葉として、美魔女、と使われるようになったのです。

 

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益州を支配しようとやってきた劉焉

劉焉

 

さあさあ話は三国志に。ここは漢王朝もそろそろ末期の時代。腐敗しきった中央政権の場からは逃げ出して、朝廷の目の届かない土地で独立を企む野望満載な男がおりました。その名前は劉焉(りゅうえん)

 

劉焉

 

彼が目を付けたのは「天子の気あり」と予言された益州(えきしゅう)、後に蜀と呼ばれる土地です。彼は上手いことやって朝廷から離れたこの土地で、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代の幕開けを果たして国を作ろうとしていたのでした。

 

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劉焉に五斗米道が接近する

五斗米道の教祖・張魯

 

益州にやってきた劉焉は、とりあえずはこの益州での立場を固めるべく動きました。もちろん良い政治を行うことも大事です。しかしその野望を忘れてはいけません、朝廷から離れた場所で何とか上手いことやらなければならないのです。そしてそこで目を付けたのが、当時は三代目に代替わりをしていた五斗米道(ごとべいどう)と言われる宗教集団でした。

 

朝廷から派遣された存在として頑張る中、裏では民衆に人気があるこの宗教と接触していたとされる劉焉ですが……その裏に、とある女性の陰がありました。

 

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張魯の母が劉焉を籠絡した

洛陽城

 

ここで劉焉と密接な行動を取っていたのが張魯の母親です。蜀書に記録にある通りならば、劉焉の家に頻繁に張魯の母親が出入りをしていたとか。そして張魯の母親は劉焉に取り入り、その縁から張魯は後に漢中を任されるようになったのです。まあここまでなら「美人な未亡人にやられたんだな」で終わるのですが……そこに面白い記述が。

 

蜀志(蜀書)_書類

 

蜀書によると「張魯の母親は少容」と書かれているのです。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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