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劉封を処刑したのは諸葛亮の陰謀だった!?

2022年5月22日


 

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正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)の被害者、下手をすると関羽(かんう)の被害者、諸葛亮(しょかつりょう)の被害者……とも言われてしまう人物はままあります。その中で一人、劉備(りゅうび)の養子にして、関羽を救援しなかったことから劉備の怒りをかい、最終的には諸葛亮の進言もあって処刑された劉封(りゅうほう)

 

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

しかし実は彼は諸葛亮の陰謀によって抹殺されたのだ……!?真実はいつもいっぱい!今回は諸葛亮の陰謀と劉封のお話をしていきましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荊州の優

劉封

 

さて三国志演義では既に後継者である劉禅(りゅうぜん)が生まれているのに何故か劉備が養子に貰ってきた劉封。もうどうやってもここから不穏な空気しか漂いませんが、正史ではまだ劉禅が生まれる前、つまり劉備がまだ子供がいない時、荊州(けいしゅう)で養子にされた子です。武芸達者で気力に満ち溢れた劉封は、この後も若くして益州(えきしゅう)戦などの戦いに従軍し、軍功を重ねていきます。

 

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劉禅

 

 

 

関羽との関係

関羽の救援要請をシカトする劉封

 

しかし関羽の樊城(はんじょう)攻めに援軍を断ったことが、彼の運命のターニングポイントとなりました。関羽は()に捕縛されて処刑。劉封が援軍を断ったことは劉備の知る所となり、これを恨みに思っていたと言います。

 

孟達と劉備

 

そして同じ立場でとても仲が悪かった孟達(もうたつ)()に寝返り、どの面下げてと言わんばかりに魏の先鋒として攻め寄せてきて「アンタも裏切った方が良いよ」と言ってきました。劉封はこれを拒否するも、敗北して成都(せいと)に逃げ帰ることになります。

 

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関羽

 

 

羽扇はためかせ(イメージ)

ブチギレる劉備

 

さて劉備は前述したように既にお怒りモードでした。更に孟達まで魏に裏切らせたこともお怒りでした。ここで動いたのが諸葛亮です。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

諸葛亮は劉封が豪勇であること、そしてそれは次の代の劉禅では制御することはできなくなるであろうということで、劉備にこの機会に劉封を除いておくべき、と進言します。結果、劉封は死を賜ることとなりました。

 

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「おのれ諸葛亮!」

三国志演義_書類

 

三国志演義では逆にこのシーンが「劉備が激怒して処刑を決定するも、諸葛亮が宥める」シーンになっているため、もしかしたら後世ではこのシーンは「問題あり」と思われて改編されたのではないかと思います。結論を出したのは劉備とは言え、ここで諸葛亮が進言したことが劉封の命運を決めたと言って良いでしょう。

 

孔明

 

そう、つまりは諸葛亮が今後の(しょく )を牛耳るため、次代の雄である劉封を処刑したのです!ヒレツ!アッカン!……というのは六割くらい冗談ですが、諸葛亮にとって劉封は「今後の蜀のためには邪魔である」と判断したのは、そんなに間違ってはないと思うのです。

 

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民間伝承の三国志

 

 

劉備亡き後

劉禅と孔明

 

劉備亡き後、諸葛亮はほぼ独裁と言っても良いほど権力を手中に収めています。とは言っても、それを私利私欲に使うとか、そういうことではありません。

 

四輪車に乗る孔明

 

あくまで蜀の天下のため、それが劉備への恩義であるため、結果的に独裁体制を築いてしまった、そうせざるを得ない状況下となったと言えるでしょう。諸葛亮に私利私欲は無かった、そこまでの信頼があったからこそできた体制、とも言えます。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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