三国志の時代、軍楽隊は鼓吹と呼ばれ中々価値がある存在だったようです。現在でも楽器が出来る人なんて早々いませんからね。三国志では荊州牧の劉表が霊帝から軍楽隊を下賜されたり、周瑜が孫策から軍楽隊を与えられています。
わざわざ主君が与える兵科である事を考えると大変な名誉だったのでしょう。逆に鼓吹を奪われてしまったケースがあります。それが孟達でお目付け役である劉封と不仲になった上に劉封に鼓吹を奪われ辞表を書いて魏に下る原因になりました。
後に劉封は劉備により自決を命じられますが、その要因として関羽を救わなかった事に併せて、孟達を辱めた事が挙げられています。これは孟達から鼓吹を取り上げた事を意味するのでないかと編集長は思います。だとすると、孟達に鼓吹を授けたのは劉備なのでしょうか?
正史で見る限り、あまり孟達を信じていないように見える劉備ですが戦争の巧みさだけは買っていたのかな。
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