陸遜ってどうして夷陵の戦いで諸将になめられてたの?

2022年6月1日


 

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陸遜の火計に嵌ってしまい戦死する馮習

 

夷陵(いりょう)の戦いで、押し寄せる蜀軍(しょくぐん)を、そして劉備(りゅうび)に大打撃を与えた大都督、陸遜(りくそん)。これはその後の蜀、のみならず、()、更には()にも影響を与える勝利でした。

 

陸遜

 

そんな陸遜が歴史の舞台に華々しく名乗りを上げる戦いと言っても良い夷陵の戦いですが、「陸遜は諸将になめられてて言うこと聞かせるのに苦労したよ」と言われております。

 

しかしこれよくよく考えると不可解……ということで、この一件について考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽との戦いからデビューする陸遜

関羽を油断させる陸遜

 

さて、夷陵の戦いが陸遜のデビューのような書き方をしてしまいましたが、実際にはそうではありません。それ以前から陸遜は山越の討伐、そして関羽(かんう)との心理戦などで呂蒙を支え、関羽を討ち取るのに心強い手助けをしたものです。

 

陸遜

 

この時点で呂蒙(りょもう)、そして孫権(そんけん)には陸遜の類い稀なる慧眼(けいがん)さを知ることができていた、と言えるでしょう。それ故に、孫権は夷陵の戦いで陸遜を大抜擢した、という訳です。

 

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関羽

 

 

 

 



夷陵の戦い

蜀軍を誘い込んで一網打尽にする計略を考えつく陸遜

 

そうこうして始まった夷陵の戦い。関羽の復讐とばかりに勢い盛んに攻め寄せる劉備。対する陸遜は守勢に構え、陣を後退させていきます。

 

陸遜

 

しかしこれに不満を持ったのが呉の諸将。当時の夷陵の戦いには孫桓(そんかん)徐盛(じょせい)韓当(かんとう)朱然(しゅぜん)潘璋(はんしょう)宋謙(そうけん)鮮于丹(せんうたん)といった名だたる武将たちが集っていましたが、彼らは「古くから呉に仕える宿将」「五の宗室(そうしつ)に連なる身分」であったため、陸遜を侮り、言うことを聞こうとしなかったりと……と言う所で、あれ?と思いました次第です。

 

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北方謙三三国志

 

 

陸遜の活躍:山越の討伐

陸遜

 

前述したように、陸遜は(かつ)て山越の討伐で武功を立てています。陸遜はこれを平定、更には反乱を鎮めたことで定威校尉となりました。この一件で孫権は陸遜を気に入って、重用するようになったと言います。

 

孫策、陸遜、顧邵、他

 

またこの功績を評価したのか、陸遜に姪、つまり亡き兄である孫策(そんさく)の娘を与えた、とも記録されているのですが……つまりそれって、孫権から見れば陸遜は「義理の甥」ということではありませんか???

 

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三国志と異民族

 

 

陸遜の謎

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

この時点で、孫策が亡くなってから時はだいぶ経っています。とは言え、孫家の先代、孫権からすれば実兄、志半ばで散った不運な英傑。そしてそんな孫策の遺児、孫権から見ても姪と婚姻させたような人物。多少離れるとは言え、宗室と言っても良い間柄!

 

はてなマークな劉備と袁術

 

そんな孫策の娘を娶っている陸遜は、どうして諸将からなめたような態度を取られて困ってしまったのか?もちろん「呉の諸将に問題があるのでは?」という話だけではないでしょう。そこで踏み込んでみたいのが、孫策、孫権の兄弟です。

 

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新解釈・三國志

 

 

孫権と孫策の不仲説疑惑

孫策と孫権

 

孫権と孫策は七歳年が離れています。兄、孫策が亡くなった時はまだ孫権は19歳で、偉大な父、兄を亡くし、若くして孫家を背負っていかなければならず。

 

北方謙三風ハードボイルドな孫策

 

孫策は才気煥発で勇猛果敢だった兄の遺志を継ぎつつ、そして兄を支えてくれていた人物たちの助けを得ながら、兄とはまた違った才覚を活かして呉を大きくしていくのでした……と、すると兄の後をしっかりと引き継いだ弟、という構図が出来上がりますが。実はこの兄弟、不仲説が囁かれているのは皆さんご存知のことかもしれません。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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