三国時代の軍楽隊は名誉で価値がある兵科だった【三国志プチ雑学】

2022年5月31日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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周瑜の魅力

 

三国志の時代、軍楽隊は鼓吹と呼ばれ中々価値がある存在だったようです。現在でも楽器が出来る人なんて早々いませんからね。三国志では荊州牧の劉表が霊帝から軍楽隊を下賜されたり、周瑜が孫策から軍楽隊を与えられています。

 

わざわざ主君が与える兵科である事を考えると大変な名誉だったのでしょう。逆に鼓吹を奪われてしまったケースがあります。それが孟達でお目付け役である劉封と不仲になった上に劉封に鼓吹を奪われ辞表を書いて魏に下る原因になりました。

 

手紙を読んでブチ切れる劉封

 

後に劉封は劉備により自決を命じられますが、その要因として関羽を救わなかった事に併せて、孟達を辱めた事が挙げられています。これは孟達から鼓吹を取り上げた事を意味するのでないかと編集長は思います。だとすると、孟達に鼓吹を授けたのは劉備なのでしょうか?

 

孟達と劉備

 

正史で見る限り、あまり孟達を信じていないように見える劉備ですが戦争の巧みさだけは買っていたのかな。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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