魏の三代皇帝曹叡は後継者に恵まれませんでしたが、子供自体は、曹冏、曹穆、曹殷と誕生していました。曹冏、曹穆は生まれて間もなく死んだようですが、曹殷はもう少し生きて叡は嬉しさのあまり、大赦をしています。
もうひとつ、曹叡は曹殷が大きくなる事を見越して父の曹丕が皇族に科した制限を緩和しました。曹丕の時代には皇族は地方にあって洛陽の皇帝に会えませんでしたが曹叡はこれを緩和して、それぞれ一族から一名ずつ洛陽に派遣するように決まりを変更しています。
もう1つは、曹丕が県王レベルに抑えた皇族の領地を郡王レベルまで引き上げる事も許しました。これらは成長した曹殷を一人ぼっちにせずに頼りになる藩屏を置こうとする曹叡の親心でしたが無情にも曹殷も1歳を迎える前に死んでしまい、後継者は、よく父親が分らない曹芳になってしまいます。
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