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呂布陣営の陳宮、高順、張遼、三者三様な降伏後の態度を解説

2022年6月5日


 

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めちゃくちゃ強い呂布

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)では序盤の敵役の一人、呂布(りょふ)。正に天下に万夫不当、かつての覇項羽(こうう)にも匹敵されると言われた猛将中の猛将。

 

しかし、その呂布が率いた呂布陣営の武将たちにも勇将、猛将揃いであることは皆さんもご存知の通り。ですがその配下武将たち、呂布を含めてかなり明暗が、いいや、対比がされている?

 

今回はそんな、呂布陣営の皆さん(一部)について考えてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操に命乞いするが猛将の呂奉先

三国志の武器 衝車 呂布

 

さあ一番手はこの人。正に万夫不当、三国志演義ではかなり脳筋のように描写されてしまっていますが、その勇猛果敢さは正史でも変わらず、寧ろ正史ならばそこまで脳筋ではないからこそ恐ろしい。

 

ただし群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代とは言え、あっちこっちで裏切りを繰り返してしまったこと、またよりにもよってその裏切った相手に劉備(りゅうび)がいたこと、

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

最期に曹操(そうそう)に対して命乞いのような真似をしてしまったことから後世では「裏切り者」のイメージが強くなっていますが、猛将の一人であることは間違いがありません。

 

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曹操から何故か呂布に転職、陳公台

陳宮と逃亡する曹操

 

呂布陣営の軍師と言えばこの人、という人物。曹操から呂布に鞍替えをし、そして最期まで曹操の元に戻ることはないまま歴史から消えました。何気にこの陳宮(ちんきゅう)が曹操から離れた理由が分かっていないのですが、その最期、特に曹操に惜しまれての別れは名将と言ってもいい潔さを感じます。

 

「呂布が私の言うことを聞かなかったから負けたの!(超意訳)」はちょっとしたご愛敬でしょうかね。

 

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冷たくされても呂布に尽くす浪花節 高順(字不明)

高順

 

高順(こうじゅん)は字が不明とか言う前に、呂布軍で活躍し始める前まで不明と言う武将。しかもその活躍期間も短いとあって、中々呂布軍でも注目度合いが低い武将と思います。

 

高順が呂布に疎んじられた理由07 高順

 

ですがその活躍は他に負けず劣らず、最期まで主を違えることなく、また呂布に冷遇されてもそれを恨むことなく、主に最期まで付いていったその姿は正に武人。間違いなく、呂布軍の名将、です。

 

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新解釈・三國志

 

 

 

唯一曹操に助けられた豪傑、張文遠

敵を相手にして奮闘する張遼

 

後の活躍が尋常じゃない曹操配下、魏の名将として華々しく歴史に残った張遼(ちょうりょう)

 

何気に呂布と同じく主を変えている(状況が状況なので……)のですが、正史、三国志演義両方で裏切り者というイメージは一切なく、凄まじい活躍と武勇とが印象強い名将ですね。張遼について話すと三日三晩かかるので別項で。

 

取り残された部下を助けに行く張遼

 

さて彼ら呂布陣営の有名どころさんたち。実はその振る舞い、立場、行動、これらに対比要素が強いことはお気づきでしょうか?

 

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夏侯惇

 

 

呂布・高順・陳宮は仲良く喧嘩した間柄

曹操に捕らわれる高順、呂布、陳宮

 

呂布のイメージに「裏切り者」が根深いと前述しました。実際に色々な要因があったとはいえ、呂布は様々な裏切りを行っています。しかしその呂布にずっと最期まで付いていったのは高順です。高順は呂布にどのように扱われても決して怨むことなく、付き従いました。

 

また陳宮も「負けたのは呂布のせいだ」と言いながらも、結局は呂布の配下として終わりました。この対比、熱いですよね。

 

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呂布

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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