後継者に恵まれなかった曹叡の親心とは?子供の為に行った規制緩和


 

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曹叡から寵愛を受ける秦朗

 

魏の三代皇帝曹叡は後継者に恵まれませんでしたが、子供自体は、曹冏、曹穆、曹殷と誕生していました。曹冏、曹穆は生まれて間もなく死んだようですが、曹殷はもう少し生きて叡は嬉しさのあまり、大赦をしています。

 

もうひとつ、曹叡は曹殷が大きくなる事を見越して父の曹丕が皇族に科した制限を緩和しました。曹丕の時代には皇族は地方にあって洛陽の皇帝に会えませんでしたが曹叡はこれを緩和して、それぞれ一族から一名ずつ洛陽に派遣するように決まりを変更しています。

 

もう1つは、曹丕が県王レベルに抑えた皇族の領地を郡王レベルまで引き上げる事も許しました。これらは成長した曹殷を一人ぼっちにせずに頼りになる藩屏を置こうとする曹叡の親心でしたが無情にも曹殷も1歳を迎える前に死んでしまい、後継者は、よく父親が分らない曹芳になってしまいます。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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