三国志の時代都市にはすでに公衆トイレがあったそうです。トイレは基本的に和式が多かったようですが、洋式トイレもあり、受刑者にはトイレ掃除が割り当てられているケースもありました。
現在の日本とだいぶ違う三国志時代の公衆トイレ
しかし、この公衆トイレ、現在の日本とは大分雰囲気が違います。一番の違いは個室というものがなく大便器が並んでいる事でしょうか?
当時の人は下半身を出して排便をしながら会話を楽しんだようです。ちなみに当時の小便器はまだ出土していないそうです。
儒教の教義があっても、トイレにおいては別だったのかも知れません。また、当時のトイレには男女共用のトイレも多くありました。これも現代から見るとかなりショッキングです。同性でも嫌なのに異性のトイレタイムなんて見たくありません。
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公衆トイレは男女の逢引きの舞台だった
そういう事も関係してか、公衆トイレは男女の逢引きの舞台でもありました。中には雰囲気が盛り上がり公衆トイレでウヒョに及んだケースもあったそうです。もちろん、中には男女が区別されたトイレもあったようですが、
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三国志ライターkawausoの独り言
でも、公衆トイレが男女の逢引きに使われるケースは古代中国ばかりではなく適度に薄暗く、中に入れば周囲からは見えない公衆トイレはそういう事に使用されやすかったのかも知れません。
参考:古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで/231p・232p・233p・234p・235p・236p /中央公論新社/柿沼陽平/2021年12月25日三版/
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