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関羽に殉じた周倉と蜀滅亡まで生きた廖化
さて更にもう一つ突っ込んでよろしいでしょうか。菱化は申し上げたように、正史では264年ほどまで生きますね。三国志演義でもこれは変わりません。
そして三国志演義で廖化は、184年の黄巾の乱の残党です。……え、何年生きている計算!?となっちゃう訳ですね。
そして周倉は途中で関羽が首だけになったのを見て飛び降り自殺、廖化は前述したように生き延びます。周倉は死しても尚、関羽に付いていった忠義の将とされるのに対し、廖化はその後、北伐で諸葛亮に関羽と比べてディスられる始末……あんまりではないでしょうか。
正史と架空、登場もほぼ同じなのに、最期の最期で明暗が別たれる二人。もしかして羅漢中先生、あんまり廖化は好きではなかったのかな……?なんて思う、筆者でした。
三国志ライター センのひとりごと
因みに三国志演義では北伐の最中、廖化は司馬懿をあと一歩まで追い詰めるも逃げられてしまいます。これを諸葛亮は表向きは称えつつも、内心では「関羽殿ならば司馬懿を討ち取れたのに……」と思い耽ります。
これは諺となり「蜀中に大将なし。廖化を先鋒にする」と言われ「人材不足」もしくは「有能な人材が乏しい」という状況で使われるんだとか。長生きして最期まで蜀に尽くした武将の一人なのに……と思い耽る筆者でしたとさ。
どぼーん。
参考文献:三国志演義 蜀書廖化伝
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