皆さんは周倉と廖化、と言われると、どんなイメージがあるでしょうか。筆者は三国志演義から三国志沼にどぼーんしていったので、二人とも関羽の配下、というイメージがあります。だけどこの二人、配役がかぶっているのにその後の明暗がえらい違う……というのはご存知でしょうか?
今回は周倉と廖化について、色々とお話したいと思います。(文:セン)
この記事の目次
三国志演義にしか登場しない周倉と正史にも出てくる廖化
さてまずはっきりとさせておかなければならないのは。
周倉は三国志演義にしか登場せず、廖化は正史に記述されている、ということです。その廖化の登場は関羽の主簿をやっていたという所から。それ以前は不明ですが、関羽が討たれた後は呉に一時身を寄せたものの、蜀に帰順しています。
劉備もこれを喜んだというので、悪感情は抱かれていなかった模様。その後は廖化は数少ない蜀の将の一人となります。
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蜀の長生き将軍だった廖化
後は諸葛亮の、そして姜維と共に北伐に参加しています。人々は「前に王平、句扶あり、後に張翼、廖化あり」と語り合ったとされ、游奕の軍団を打ち破り、王贇を討ち取るなどの活躍も重ねている武将でした。
因みにこの時点でかなり老将であったようで、諸葛瞻が政治を取り仕切るようになった時に宗預に一緒に挨拶に行こうと声をかけて
「70も過ぎて若い奴に媚びを売るな!みっともない!(意訳)」と言われた、という逸話が残っています。
黄忠もそうですが、蜀は老将が頑張りますね……まぁ若い人たちは夷陵で……うん。
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蜀滅亡後、長旅に耐えられずに病死か?
さて廖化は、その後、264年に護送される中、病死したとあります。そもそも生年が不明なので正確な年齢は分かりませんが、諸葛瞻が261年に平尚書事になっていることを踏まえると、その頃には70を超えていた、ということになります
若く見ても73歳ほどになりますから、かなりの高齢であったことは間違いないでしょう。ここから逆算すると、大体の年齢は想定することはできますね。さて、これを踏まえて三国志演義を見てみると、とんでもないことになります。
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裴元紹は置き去り…周倉のみが関羽のお供に
では三国志演義の周倉の登場回を簡潔に述べてみましょう。それは巷で噂の関羽千里行の途中、関羽が一夜止めてくれたお家の息子が赤兎馬を盗もうとしますが、失敗。そこで山賊・裴元紹にサポートを頼み、道中で関羽から赤兎馬を盗もうと画策。
しかしやってきた関羽を見て裴元紹ビックリ、関羽も何で自分を知っているのかとびっくり。それは仲間の周倉が関羽のことを慕っていたから……周倉出てきて関羽の配下にして欲しい!と懇願。
だけど奥方様が「黄巾賊の残党の人はちょっと……」とお断り、ここ重要。紆余曲折あって周倉だけ連れていけるようになったので、周倉は裴元紹に「いずれ迎えに来るよ!待っててね!(フラグ)」という流れになります。
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廖化も山賊で関羽の手下になろうとして拒否される
では廖化の登場はと言うと、実はこの周倉登場よりもちょっと前です。廖化は黄巾賊の残党という、これからちょっと聞くようになる立場で登場してきます。
そして仲間の一人が劉備の奥方をさらったことに怒り、これを処断して関羽に奥方を届け、部下の首を差し出します。
「関羽様の配下にして下さい!」と頼みます。(どこかで聞いた)
「黄巾賊の残党の人はちょっと……」と関羽に断られます。(どこかで聞いた)
その後、関羽は前述したように周倉を仲間にします。(廖化は断ったのに)
そして数年後、関羽の配下をしている廖化の姿が!と時代ワープする……という流れです。
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周倉と廖化は境遇が似ていた
そう、実は周倉と廖化、登場からすると廖化と周倉、殆ど仲間になる流れが一緒なのです。ほぼかぶっていると言って良いでしょう。
そして廖化は断られ、周倉は仲間にされます。なのになぜか、廖化は後に関羽の配下になり、更に劉封の処断を訴えるという割と重要な役回りを与えられます。いや周倉を仲間にする流れがあるならそこで仲間にしたらいいじゃない……とか突っ込んでしまうのは野暮でしょうか?
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