三国志で最も重要なアイテムである玉璽。
これは、ようするに玉で出来たデッカイ印鑑なんですが、最初に玉璽を皇帝のシンボルに定めたのは秦の始皇帝でした。では、玉璽以前のシンボルは何だったのでしょうか?
玉璽以前の王のシンボルは鼎
玉璽以前の王のシンボルは鼎(かなえ)でした。鼎とは三本足の巨大な鍋であり食物を煮込む道具です。太古の昔、王は氏族の長で、宴会では食べ物を分配していたので食物を煮込む鼎が王のシンボルとなりました。
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鼎のデメリット
しかし、この鼎はともかく重い事で有名で周王朝の鼎は9つもありましたが、青銅製でそれぞれ重さが1トン以上ありました。周王室を滅ぼした秦の昭襄王は九鼎を咸陽に持ち運ぼうとしましたが、途中で泗水に落としてしまい、引き上げられないのでそのままになったそうです。
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玉璽が誕生した経緯
そこで登場したのが鼎よりは遥かに軽い玉璽だったのです。もし、鼎が首尾よく咸陽に運ばれていたら、その後も皇帝のシンボルはバカみたいに重い九鼎だったかも知れませんね。
参考:
コトバンク 玉璽
wikipedia 玉璽
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