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玉璽以前の王のシンボルとは?

2022年10月14日


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玉璽

 

三国志で最も重要なアイテムである玉璽。

 

不老不死を求める始皇帝

 

これは、ようするに玉で出来たデッカイ印鑑なんですが、最初に玉璽を皇帝のシンボルに定めたのは秦の始皇帝でした。では、玉璽以前のシンボルは何だったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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玉璽以前の王のシンボルは鼎

鼎(かなえ)

 

 

玉璽以前の王のシンボルは鼎(かなえ)でした。鼎とは三本足の巨大な鍋であり食物を煮込む道具です。太古の昔、王は氏族の長で、宴会では食べ物を分配していたので食物を煮込む鼎が王のシンボルとなりました。

 

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鼎のデメリット

炎上する城b(モブ)

 

しかし、この鼎はともかく重い事で有名で周王朝の鼎は9つもありましたが、青銅製でそれぞれ重さが1トン以上ありました。周王室を滅ぼした秦の昭襄王は九鼎を咸陽に持ち運ぼうとしましたが、途中で泗水に落としてしまい、引き上げられないのでそのままになったそうです。

 

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玉璽が誕生した経緯

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そこで登場したのが鼎よりは遥かに軽い玉璽だったのです。もし、鼎が首尾よく咸陽に運ばれていたら、その後も皇帝のシンボルはバカみたいに重い九鼎だったかも知れませんね。

 

参考:

コトバンク 玉璽

wikipedia 玉璽

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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