後出師の表でのみ登場!曹操を欺いた李服ってどこの誰なのか?

2022年10月15日


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孔明による出師の表

 

三国志(さんごくし)に親しんだ皆様ならば、出師(すいし)(ひょう)はご存知でしょう。ではそれとはまた一線を画す、後出師(ごすいし)の表はご存知でしょうか。出師の表と違い、後出師の表は本当に諸葛亮(しょかつりょう)が書いたのか?と疑わしいものとされています。

 

その理由はいくつかありますが、今回はこの後出師の表で名前が出てくる……出てくる?

 

あの人を紹介しつつ、ちょっと三国志演義(さんごくしえんぎ)にも触れてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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出師の表は泣けます!

画像利用について03 孔明

 

さて出師の表とは、諸葛亮が北伐に出発する前、劉禅(りゅうぜん)に当てて書いた上奏文です。自分を引き立ててくれた劉備(りゅうび)への感謝、そして劉禅を諭すような言葉の数々がまとめられたものであり、古来よりこの出師の表は「名文中の名文」とされています。

 

夏侯楙は臆病者と罵る魏延

 

更に言うなら「これを呼んで泣かないなんて不忠者だ!」とか言われてしまう一文。ただもちろん涙を流すかどうかは個人差がありますので、決して泣かなければ反骨の相という訳ではありません。そこはご安心下さい。

 

出師の表の内容とは?

孔明による出師の表
諸葛亮の出師の表って、一体何が書いてあるの?

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後出師の表はなんかザワザワします

敵に囲まれる馬謖

 

出師の表が上奏されたのは227年、北伐の前です。そしてこの出師の表は、後に出てくる後出師の表と区別するために「前出師(ぜんすいし)の表」と呼ばれることもあります。後出師の表が上奏されたのは翌年の228年。

 

因みに前回の敗北で馬謖(ばしょく)が泣いて斬られたりしています。そして体勢を立て直し、改めて北伐を開始するにあたり上奏されたのが後出師の表、という訳ですね。ただこちらは、前述したように信ぴょう性が疑わしいものとされています。

 

後出師の表とは?

孔明
【後出師の表】は味方の士気を下げるダメダメ偽造文書だ

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

存命の趙雲が死んだ事になっていたりする怪しい後出師の表

寿命を全うした70歳の趙雲

 

その理由の一つとして、後出師の表は三国志の本伝では出てきません。あくまで裴松之(はいしょうし)の注釈の中で、習鑿歯(しゅうさくし)漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』から引用されたのがこの後出師の表なのです。また死んでいないはずの趙雲(ちょううん)が亡くなっていたり、誰だか分からない人物の名前が出てくる、状況の食い違いなど、様々な相違点が多く、贋作説(がんさくせつ)まで存在しています。

 

今回はその中の一人、誰だか分からない唐突に出てくる名前の人物、李服(りふく)についてちょっとお話しましょう。

 

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曹操を欺いた李服とは誰の事?

孔明の遺言を聞きに成都から五丈原まで走った李服

 

後出師の表の中で「李服を任用するも李服これを図る」という一文があります。これは曹操(そうそう)のことなのですが、簡単に言うと「曹操は李服を信頼して任命していたけど裏切られたよ!」ということです。確かに曹操は裏切られた経験もあります。記憶に濃い所では陳宮がそうでしょうか。

 

曹操を裏切る陳宮

 

文章はこの後「劉備様(先帝)はいつも曹操を凄いって言っていたけど、その曹操だって裏切られたり部下が死んだり、たくさん失敗してるんだよ」と続きます。確かに曹操も簡単に天下を手に入れた訳ではなく、そこまでに血の滲むような思いをしてきました……その曹操が築き上げた()は並大抵のことでは陥落などしないでしょう。

 

所で……李服ってだれ?(本題)

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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