鎌倉時代、たくさんの仏像が造られました。それまでの時代とは異なり、鎌倉時代は仏像にリアルさを求めたという特徴があります。例えば、今にも動き出しそうな身体つきやポーズであったり、木彫像の目の部分をくり抜いて、頭の裏側から水晶をあてることで、いきいきした目もとを表現する玉眼という技法が発展したりしました。
鎌倉時代に造られた菩薩立像を見てみると、凛々しい顔立ちの中にも優しさが浮かぶ表情をしています。このように、鎌倉時代の仏像の表情に注目してみると、ひと味違った見方で楽しめるかもしれません。鎌倉時代、武士は今にも動き出しそうな躍動感のある仏像を好みました。それに対し、貴族は完璧な美しい姿の仏像を好みました。
金剛力士像
鎌倉時代に造られた仏像といえば、真っ先に名前が浮かぶのが金剛力士像ではないでしょうか。金剛力士像は2体で1組となっており、それぞれ阿形像(あぎょうぞう)、吽形像(うんぎょうぞう)と呼ばれています。この2体から、「あうんの呼吸」という、息ピッタリな様子を表す言葉が生まれました。また、金剛力士像という名前のほうがポピュラーですが、仁王像という名称でも知られています。金剛力士像は運慶と快慶だけで造られたのではなく、彼らのもとにたくさんの仏師たちが集って造り上げました。
力強く、写実的な金剛力士像は、まさに武士たちの世の中である鎌倉時代を象徴する仏像である、ということができるでしょう。実際に見てみると、あまりのスケールの大きさに圧倒されます。
愛染明王坐像
重要文化財である、愛染明王坐像は保存状態がとても素晴らしく、鎌倉時代当時の色合いが残されています。1256年に、快成によって造立されました。愛染明王の真っ赤な色をした身体は大変特徴的です。恋愛・縁結び・家庭円満などをつかさどる仏として、古くから信仰されてきました。古来、遊女たちの信仰対象にもなっていたのです。ちなみに、愛染明王坐像は、火事で焼けてしまった東大寺大仏殿の焼け残りの柱材を用いて造られたのだそうです。奈良国立博物館に、収蔵されています。
文殊菩薩騎獅像および侍者立像
獅子に乗る文殊菩薩と、その従者たちによって構成されている仏像です。文殊菩薩は、少年のような姿かたち・表情となっていますが、これは「文殊菩薩の知恵は少年のように清らかである」ということを表しているのです。従者のなかには、善財童子という幼い子どもの姿をした者もいます。文殊菩薩騎獅像および侍者立像は興福寺伝来であり、東京国立博物館に収蔵されています。
鎌倉時代、仏像を造った仏師たち
鎌倉時代には、優れた仏像を造った仏師が登場しました。これらの仏師によって、個性豊かな、特徴のある仏像が造られたのです。鎌倉時代の仏師といえば、まず名前が挙がるのが運慶と快慶でしょう。彼らが造った東大寺南大門の金剛力士像を知らない人はいない、といっても過言ではないはずです。
また、愛染明王坐像を造った快成は、高い技術力と細部の細やかな表現で素晴らしい仏像を残しました。彼は、愛染明王坐像と同じように、東大寺大仏殿の焼け残りの柱材を用いて地蔵菩薩像も造立しました。
仏像をよく見てみると…
ちなみに、仏像修復師によると、仏像とは、その時代に「良い顔」とされる特徴を取り入れて造られているのだそうです。そのため、時代ごとに仏像の顔立ちは少しずつ異なっています。つまり、仏像をよく見てみると、その時代、どんな顔がイケメンとされていたのかが分かる!ということなのです。そういった着眼点から仏像を見てみても、興味深いかもしれません。
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