三国志を扱ったマンガやゲームやアニメについて、いまさらながらヒトコト。
三国志の世界観をビジュアル化する場合の傾向として、関羽や張飛や呂布といった豪傑たちの身長と、モブの兵士たちの身長に、あまりにも差をつけすぎじゃありませんか?
この記事の目次
有名武将たちは現実的にはどれくらいの大きさ?関羽の身長を基準にふとマジメに考察
漫画の世界には「心理的な身長」という便利なコトバもあるようで、80年代に流行った北斗の拳などでは、メインキャラとモブキャラの身長差が生物学的リアリティすらも無視する大胆さで強調されていました。
三国志を扱ったメディアにもいささかそれに近いものを感じます。でも三国志の登場人物たちは、古代中国に実在していた人たち。実際のところ、大きかったのか小さかったのかは、気になるところですよね。
残念ながら正史のほうにはあまり登場人物たちの身長のことが触れられていないのですが、『三国志演義』のほうには何度か、具体的な身長についての言及があります。
その一番手は、『桃園の誓い』の章で早々に登場する関羽です。「身の丈九尺」と数値で示されています。
そもそも関羽の身長「九尺」ってどれくらいの大きさ?
これって今でいう何センチくらいの大きさなのでしょうか?
そもそも皆さんは、関羽の身長といえば、直感的には何センチくらいと想像していましたか?私は漠然と「2メートルちょっとくらいの大男だろうな」と、長い間信じておりました。その直感を大事にしつつ具体的に数値計算をしてみましょう。
残念ながらこの「尺」という単位、時代によって変わってしまっているようで、なかなか計算は難儀なのですが、ここでは「一般的に古代中国では1尺=23センチである」というデータを採用したいと思います。
23センチ × 9 とすると、関羽の身長は207センチくらい。2メートルと7センチとなると、ありゃ私の長年の直感がだいたいアタリでした!これはちょっと嬉しい!
現代でも2メートルを少し超えるくらいの人物となると、バスケットボールやバレーボールの選手には「ありえる」身長となりますし、大男とはいえ現実的な範囲ではないでしょうか。
ともあれ古代中国は現代と比較して栄養状態は悪かったはずですから、人間の平均身長は現代よりも下だったはずと予想。そんな世界で2メートル越えはそうとう目立ったはずですので、最近のメディアでの「モブキャラとの極端な体格差」も、存外間違いとも言い切れません。
他の武将たちの身長を追跡するとたちまちナゾが深まってしまう件!「みんな八尺じゃないか!」
この調子で他の武将についても調べてみよう!そう息巻いて『三国志演義』をさらに読んでみると、ちょっと具合の悪いことに気づいてしまいます。この小説では、何かとキーワードとして「八尺」という言及が出てくるのですね。
「何某の彼は身の丈八尺だった」
「このとき八尺ほどの大男が立ち上がり、誰かと思えば何某という男だった」
などなど。
八尺というのはさっきの計算を適用すると184センチくらい。「背の高い」人を表現するのにはかなり適度な大きさと言えますが、こんなにも三国志に登場する豪傑は八尺だらけだったのでしょうか?
・・・などというわけはないですね!考えてみれば『三国志演義』はそうとう後世になってから編まれた作品。
作者の羅貫中が、「背の高い男である」ということを表現したい時には、ことごとく便利な「八尺であった」に頼っていただけのことと思います。つまり「八尺」は、作者の「心理的な大きさ」表現です。客観性があるわけではなさそう。
となると『三国志演義』の記述を一生懸命追いかけてキャラクターたちの身長を比較云々しようとする気そのものが、失せてきてしまいました。結論としては、実際の三国志たちの英雄の大きさは「よくわからない」に戻ってしまいます、残念。
まとめ:それでも関羽だけ「九尺」と別格扱いな点には意図を感じます
ともあれ「大きい人=八尺」という定型文を使って小説を書いていた羅貫中の世界観の中で、関羽だけが九尺と、「八尺の大男だらけの世界で一尺大きく」言及されていることには注目したい。やはり関羽は「別格」の大きさとしたかった、という羅貫中の意図を感じます。
「八尺」と言及されている人物を探していくと、たとえば張飛も「八尺」と表現されています。張飛ですら180センチとみている作者の頭の中で関羽だけ1レベル上です。これは特別扱い、と言っていいと思います。
三国志ライター YASHIROの独り言
他に「八尺」と言及されている豪傑には、誰がいるでしょうか?ぱらぱらと『三国志演義』をめくってみて、他にも「八尺の身長」の男の名前が見つかりました、「諸葛亮孔明」です。
…え!?意外!孔明って張飛と互角なくらい大きかったんだ!?
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